笠原嘉:うつ病の病前性格について

笠原嘉:うつ病の病前性格について.笠原嘉編「躁うつ病の精神病理1」弘文堂,東京,1976 ; 1―29,
を読み返している。
何度か読んだり参照したりしていて、時期の違う書き込みがある。

1976年の出版で、いまが2008年だから32年たっているのだけれど
大切なことは言い尽くされているようで驚く。

おそらく私がこの論文の影響の範囲内にとどまっているせいだろうと思う。
全世界的に見て頻繁に引用されている論文というわけではないのだから。

ニュートンの方程式がすべてを集約して表現しているように
ここには方程式は出てこないものの言葉で組み立てられている内容は
ニュートン的なものなのかもしれない

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強迫性格について
(1)人生における不確実性、予測不能性、曖昧性を極小に抑えるための単純にして明快な生活信条ないし生活様式の設定
(2)それによって整然たる世界を構成しうると考える空想的万能感
(3)予測不可能性をあらかじめ排除する何らかの形での呪術の利用
(4)不確実性の高い生活領域への不参加とそれによる生活圏の狭隘化
が記述されている。

強迫性格傾向(A細胞成分)と未熟な自己愛成分が同居すると、
たぶん上述のようになる。それぞれから自己愛成分を抽出すれば次のようになる。
(1)勝手に自分の生活様式を決めてしまうのは、自己中心である。⇒自分主義
(2)空想的万能感は未熟な自己愛の中核である。⇒機械を通じての誇大性
(3)呪術を有効と信じるのは自己愛的である。⇒機械を通じての呪術性
(4)生活圏を勝手に狭める自己中心性。⇒こきこもり

それにしても、これらはそのまま現代人の特徴である。
ネットと携帯は引きこもりを助長し機械を通じての自己愛の肥大を招いている。

逆に言えば日本人では強迫成分が相変わらず多いので
上述の傾向が進んでしまうのだと考えられる。

引きこもりの背景にある強迫性。
機械信仰の背景にある強迫性。
これらを考える必要がある。

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携帯でもコンピューターでも、強迫性性格者が適応的である。
見ていると飽きもしないで同じことを繰り返している。
ピアノの練習と似ている。
(一般に楽器の練習は強迫性の鍛錬なのかもしれない。)

面倒だから自動化してしまおうとかはあまり思わないらしい。