話が通じない現象について

昔、蛸壺文化と言われたものだ

それぞれの専門化がそれぞれの領域に閉じこもり
蛸壺に閉じこもるように生きていること

最近は学問の世界ではなくて
一般の人の生き方さえも
蛸壺的になってきて
生きている領域が違うと共感しにくいくらいになってきているのではないかと思う

何を言っているのかというと
昔ならばたとえば職人さんとお役人とお医者さんなどでも
それぞれの専門はありながら
専門外の人と話すときにはどの程度のものが共有ざれているかについて
ある程度共通の認識はあって
だからかなり話は通じたのだと思う

ところが最近はそうでもなくて
世間話が通じない具合になってきつつあるのではないか

専門の話について共有できないのは当然としても
一般の人間としてならばどんな話をするかというところがずれてしまっているように感じる

共通基盤を失ってしまっているというべきか
ずれを認識しないでずれてしまっているというべきか