いじめ
とは、大きく言えば権力闘争なんだと思う
だから人間につきまとう
なくならないだろう
本質なんだもの
大人になって社会にいじめはあるよね
猿の群れでは、まず雄同士が順位を決める
じゃれ合っているようできちんとルールがあり、
負けた方はクビを差し出して負けを認める
はっきり分からないが、そのような
猿村の観察も、人間社会の過度な投影の面があり、
客観的に正確な観察ではないのだとの指摘があった。
嫉妬も策謀も渦巻くのが社会というものだ
学校のうちは社会としても未熟で、
いじめる方も、いじめられる方も、
練習している段階だろう
その中で「特に進んだいじめ方」をする子どもがいたり、
一方でいじめに特に脆弱な体質を持っていたりする子もいたりして、
いじめ問題は難しくなる。
どうすればいいかといって難しいけれど、
やはり、人が死ねば殺人罪であり、
刑法とか何とか言う以前に、
人道上の罪なのだと感じることだろう。
いじめていると人は死ぬのだということを知る。
それでもいじめたいという人は、刑法で処遇する。
いじめられた人は、いじめられてもなお、
その集団の中で生きていたいのか、選択する。
選択枝のない人は深く悩む。
だから、社会は選択枝を増やしてあげたい。
いじめっ子は強者なのかもしれないが、
昔の強者のように、
ポジティブな自己イメージを持てなくなっているのかもしれない。
親分的な存在をイメージできないのだろう。
父的存在や母的存在は、他人をいじめない。
本当に強い者はエリートであり、いじめはしない。
むしろ仲間に対しても教育的に振る舞う。
現在、
自己が卑小な存在になりはてている。
自己イメージの向上が教育の基本課題ではないかと思う。
そしてそれは会社の中で社員にどのように働いてもらうかの基本だと思う。
馬鹿なやつだと思われていれば、
その通りの働きしかしません。