栃東引退会見

大関栃東が引退を決意して記者会見をした。

気力がなくなったからということらしい。

頭痛がする、脳梗塞の所見があるなど、気になることも語られていた。

脳梗塞や頭痛のことは大変気になることで無理をしてはいけない。

それだけで充分な引退理由である。

しかし会見の様子は、それだけではなかったと思う。

心理にある程度の狭窄が生じていて、

決断にあたって、周囲にはかなり分かりにくいような

思考なり感情なりがあったのではないかと考えさせられる。

といってなにも確たる証拠があるのではない。

栃東について何か言いたいのでもない。

よく知らないのだから。

私自身が前の仕事からの退却を決意した時とよく似ているからだ。

だから、多分、これは栃東についてのことではなくて、

自分についてのことだ。

栃東を話題にしておいて、自分を語ることだ。

どうしてもやむなくやめざるを得ないという

局面ではないのかもしれない。

やめると決断すれば人生の新しい局面が開けるかもしれない、

しかしそのことは周囲には理解しにくいかもしれない。

とりあえず、脳梗塞のことで説明すれば、賛同は得られるだろう。

しかし自分としても何か説明がおかしい。

これまでのすべての努力はどうなるのだろう。

横綱を目指して無理も重ねてきたではないか。

築き上げたものもある。

幸運に恵まれたこともある。

すべての工夫もすべての汗も、

これで終わりになる。

自分は何をしてきたのだろう。

こんな終わりを迎えるためだったのだろうか。

それならばあそこまで苦しむ必要はなかったとも思う。

いや、もう疲れた。

人生はこんなことではないはずだ。

新しい局面を切り開きたい。

自分の中に埋まっている別の側面を、別の可能性を、切り開きたい。

これまでの時間が自分の中に何かを成熟させてもたらしているかもしれない、

その可能性を探りたい。

そのように考えたと思う。

それは多分客観的に見れば、

重大な決断は少しだけ先延ばしにした方がいいですよとの

アドバイスになるのではないかと思う。

妙に重大な決断をしてしまったなあという

表情に見えたのである。

やめてみたらどうなるんだろうという気持ち、

わたしの場合には確かにあって、

むしろそれが理由の大部分であったようにも思う。

疲れていたとも言える、

どうしようもなかったとも言える、

退屈しきっていたとも言える、

絶望していたとも言える、

未来が見えなかったとも言える、

どうかしていたのだとも言える、

結局よく分からなかったとも言える、

そんな局面だった。