統合失調症の利点

統合失調症が不利益ばかりのものであれば、
多分、進化論的に淘汰されてなくなっているはずなのかもしれない。
ある民族で、統合失調症の原因になるような遺伝子が
全部取り除かれたら、
統合失調症には罹らず、
部族間の争いがあっても、有利に展開し、
といったプロセスが生じるはずだろう。
しかし何か利点があるから、
統合失調症はいまだに存在しているのだろうといわれている。

物事の関係を過剰に推定する癖だとして、
その推定が偶然、物理法則に一致していれば、天才といわれるし、
不一致なら、無価値といわれる。
しかし、物理法則も自然法則も、心理法則も、
表面的には環境に応じている部分があり、
一定の変化は必要なのだと思う。

そのようにして過剰な関係付けの癖は続くのだろう。

進化論で言う、放散と淘汰を繰り返している、
フロント部分なのだろう。

その点では、秀才の家系に、病者が存在するのも、当然である。

イメージとしては、
時計を考えて、
長針の描く大きな円と
短針の描く小さな円を考える。

短針の描く内部は、
どれも、普通。

長針の描く部分は、
12時あたりがストライクで、秀才、
それ以外の、1から11時はすこし不具合。

そんな感じ。

だから、短針の範囲内に納まらない傾向がいつも必要で、
統合失調症の傾向は必要。
長針の中の一部分だけが有用であるが、
どの部分が有用であるかは、
歴史の偶然にもよるので、分からない。

そのような遺伝子が生き残ったのだろう。

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