生成の現場と成果物

ある人のコンピュータ入力の見事さを現場で見ていると感嘆する
本人はピアノを弾くようなものと言っていた

それならグレン・グールドにパソコンキーボードを叩かせてみたかったと思う

音楽生演奏……音楽録音の再生……絵画
こうして並べると
いままさに生成するもの……生成を時間を追って再生するもの……生成の現場が分からない作品
と翻訳することができる。

現代を覆っているIT、つまり、コンピュータは、
我々一般人の多くは、最終結果だけを受け取っていて、
たとえば、それは最終的な絵画を見ているだけなのだと思う

インターネットのページがそうだし
映画のCGもそうだし
その辺のチラシも多くはコンピュータ上で合成されたものだ

製作の現場で生成するプログラム、
それが秒速いくらか知らないが、おそらく激しい速度でたたき出される
その現場に現代人の能力の最先端を見るだろう

大きなアイディアを部分に分割し
それぞれを作り上げ
全体として矛盾なく統合する

ただアウトプットだけで評価される
アウトプット評価にはインド人も中国人も関係ない

だからIT産業従事者はうつになる
ならざるを得ない

IT産業のアウトプットだけを見て評価するのではなく
インプットの現場を見て評価して、給料を払ったらいいのにと思う

きっとその技術と才能に見とれ唖然とし
高給を払いたくなるだろう
芸術に近い
あるいは現代芸術以上かもしれない

当たり前のように使っている
銀行の末端とかJRのスイカや予約末端とかも
すばらしい技術だし周到な保護がかけられている

その製作の現場を見れば
圧倒されるに違いないのだ

そんな人たちの職場を
売ったり買ったりしている
資本というものは何だろうと思ってしまう