「精神療法家の仕事」成田善弘-21

不思議に思うこと
分からないと思うこと

患者の気持ちを分かりすぎたり先取りしてはよくない

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なるほど

(自分には)分かるのだけれど
よく考えてみると(普遍的理性には)分からないはずだ
という、このあたりの呼吸が
診断技術である

つまり、
了解と説明のぎりぎりの境界である

了解できる
了解できないはず
説明できる
このあたりの境界

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このあたりのことをどう考えるかは、
現代では立場によってかなり異なる。

エビデンス重視や診断と治療に関してのガイドライン重視の立場から言えば、
了解と説明の話も、
もっと客観的な話、
私の言葉で言えば、
脳と臓器(脳)の関係と、脳と脳の関係の、境界をはっきりさせるということになる。

しかし客観性よりも、診断と治療のアートが大切だという立場もある。
また、エビデンス重視派とアート重視派の差は、究極的にはなく、
ベストな唯一の治療があるだけだとする立場もあり、
いまのところはよく分からない。
遠い道である。

ときどきはインスピレーションも湧き、
偶然の一致もあるもので、
そのような事を、エビデンスには出来ないのだが、
それでも、現実の治療にはかなり役立つ。

ユングのシンクロニシティつまり共時性の話なども、
誰かが話しているのを聞くと、一般化は出来ないだろうと思いつつ、
自分に起こったことだと、他人に話す気はないが、それでも、あるのだと思わざるを得ない。
自分に実際に起こったことについて、単なる偶然と言うことは難しい。
確率計算から言っても、起こるはずのないことであり、
統計的に有意な話ではないので、
統計学の範囲外のことなのだと思う。