サイバースペースでは有能な人Pの問題について

いろいろと論文を読んでいると
相変わらず
サイバースペースでばかり時間を過ごしていると
バーチャルとリアルの区別がつかなくなるといった具合の
断定が多いが、
実際は皆さんそれなりに区別はついているようにも思う。

なかで、次のようなくっきりとした論文もあり、注目に値すると考えられる。

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◆現実
18歳の男子で、高校に進学した後、不登校になり、ひきこもり、部屋には家族も入れず、
食事は母親に運んでもらい一人で食べていた。
用があってもメモでやりとりするだけで全く話さない。
被害妄想や幻聴の存在を示すメモ。

面接場面では服装は奇異で薄い化粧、一貫した緘黙、硬い表情。

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◆電子メール
この人がメールの中では非常に饒舌で長文を好み、
パソコンやインターネット、音楽の話題をごく自然な文体で綴る。
万能感や尊大さが目立つ一方、
自己評価の低さや見捨てられる不安も抱える。
典型的なスプリッティングの機制が見られた。
同時に特権意識、平凡恐怖、自己イメージの不安定さ、羞恥、怒り、優越感と同時に劣等感があり、
総合してみると、自己愛性人格障害または境界性人格障害と思われた。
奇異な服装や化粧も本人なりの美意識に基づいたものであった。

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◆インターネット空間
インターネット空間ではたくさんのホームページを訪れて意見を書き込み、
リアルタイムのチャットにも参加していた。
シェアソフトをダウンロードして機能拡張したり、
好きなミュージシャンの写真を貼ってホームページを作ったりした。
インターネット空間でのルールには完全に適応的に振る舞っていた。

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病態水準としては
現実は精神病
電子メールは人格障害
インターネット空間では過剰適応
がそれぞれ対応していると、その論文の筆者は指摘している。
そしてこの三層で混乱はなく
バーチャルとリアルの区別がつかなくなるといった事態もないようだったと記している。

筆者のいうインターネット空間に過剰適応しているという言い方は、
やっていることを見るとたいしたことではなくて、すこし過剰表現だと思うが、
現実適応の水準に比較するとやはり違うとは言える。
少なくとも普通に振る舞っている。

このタイプの人がMS-DOSを作ったりGoogleを作ったりすれば、
緘黙のままで成功とも考えられないが、適切な補助者がいたとして、
たぶん大部分は誰かに横取りされて終わりになるだろうけれど、
それでも生活はしていけるようになるかもしれない。

従って、少し訂正して書き直すと、
現実は精神病
電子メールは人格障害
インターネット空間では正常
となる。

筆者は、いったいどの状態を病理の本質と見なすべきか、
全く異なる言動はどう理解すればいいのだろうか、と問いかけている。

しかし現実と電子メールとインターネット空間とで
それぞれの面を露出させているだけではないだろうかと私は思う。

病理の本質は何かと言っても、それぞれの場所で違う面を見せているだけで、
各場面での病理もあるし、それらが統合されていないことも病理である。
それだけのことではないだろうか。

インターネット空間で正常に適応しているからといって、
現実世界での精神病状態がなくなるわけでもないし、本人も苦痛であるに違いないのだし、
治療を求めるなら、治療した方が良いに決まっているだろう。

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インターネット空間には
尊大さと弱々しさ、
誇大自己と自己不全感を併せ持つ、
そのようなメッセージが膨大に
日記や詩の形で公開されていると
筆者は書く。

誇大な自己であるからこそ、現実では小さくならざるを得ず、
自己不全感に至るのであって、
そこに矛盾はない。

尊大であるから、現実には有効ではなく、
従って弱々しいのであり、
そこにも矛盾はない。

そのような存在の様態を自己愛的と名付けているのであって、
それはそれで完結している。

矛盾を見いだして、その矛盾を解決していくエネルギーはないように思われる。
むしろ矛盾に鈍感になり、こぢんまりとまとまることが多いのだろう。
まとまり方がみんな似ているのは、
みんな中流という時代が続いて、与えられた条件が似ているからだろう。
与えられた条件が桁外れに違う人もいて、
そんな人たちは、かなり違った適応の仕方をして違った生き方をしている。

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上で紹介した論文は、よくある、
「バーチャルとリアルの区別がつかなくなる病理」を論じる水準は超えている。
そして三つの場面で三つの水準の病態を取り出して見せている。
大変鮮やかである。

しかしながら、インターネット空間での適応の程度を過大に評価していると思う。
この程度のことをして人間が生きていけるだろうかと考えれば、
小さな部分的な適応に過ぎないと思う。
たとえばスーパーに行って買い物ができた程度だろう。

現実場面と電子メール場面とでの食い違いが著しいが、
この場合は食い違っていること自体が病気なのであって、
そのように食い違わざるを得ないメカニズムがあるのだと考える。

思考の内容は電子メール場面で現れている。
対他交流の様式は現実の人間には緘黙、電子メール場面では饒舌と現れている。
それでいいのではないか。

病気の形式は統合失調症型である。内容は人格障害型である。
あるいはDSMでいえばⅠ軸が統合失調症・破瓜型で、Ⅱ軸が自己愛性人格障害である。

そう言うのも割り切り過ぎと分かっているが
ここではそのように論じてみた。