社会に蔓延する自己愛

衣食住性が満たされた後、
人々は何を求めるか。
その一つが自己愛である。

自己愛の満足を求めるという方向もあるが
自己愛の傷付きを回避する方向もある

いずれにしても現実を避難することが必要になる
そうでなければなにも自己愛などと言う必要はない
現実にすばらしいからだ

現実にはすばらしくはないが
心の中でうぬぼれているとき、
現実を見ないようにして
退却する withdrawal ことは一つの方法である

社会に自己愛性性格が増えると社会自体が自己愛性性格を呈する
自己愛の幻想の中でまどろみつつ充足していて、世界にたいして現実的対応をしなくなる。

戦後日本は自己理想として生産性と技術力を掲げてきた。
いまでもそれは自己理想の中核として不足のないものではあるが、
安価な労働力は生産性を超えて作用し、産業の空洞化をもたらしている。
技術力も、たとえば携帯電話のように、何のための技術力なのか、
世界の現実の前ではやや分が悪い。

こんな時、内側に向いて、退却する傾向があるのである。
そのまどろみを破るものが押し寄せたときには現実的な対処ができず、
パニックになることがある。

俺はすごいのに俺のすごさを誰もわかろうとしない
それは個人のつぶやきならまだいいが
社会全体の空気になるとかなりまずい。
「とてつもない日本」というとき、
世界の現実から退却して自己愛の夢にくるまれていようという思想でなければいいと思う。