よきネット社会

ネット社会の書き込みが原因で自殺する人まで出てしまうのは
どうしたことだろう

本来ネット社会の参加者は
そのような誹謗中傷を書く人がいるとしても
集団の中では諫められるしあるいは無視されて
ほんのわずかのノイズの程度で収まるはずで、
大半の人たちには、もっと話したい内容があって、
そのための最新技術だと考えられていた。
検索していろいろな細かい情報にたどり着けるのは大変ありがたい。
中には嘘もあるし勘違いもあるが
そのようなものはより分けて欲しい情報を見つけていけばいい。

近くの友人には経験がないことでも、
遠くの誰かまで範囲を広げたなら、
体験を比較検討することもできるかもしれず、
それは大変有用だと考えられた。

時間を超えて、数年前の経験が役に立つ局面もあるだろう。

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ところがネット社会の一角にに出現したのはトイレの落書きのようなものだった。
誹謗中傷、デマ、個人攻撃、人間の心の醜さと低劣さがこれほど広く支持されるとは
考えていなかったはずだ。
ところが人間の心はそれを欲していた。
書く人も多かったし見る人も多かった。

ノイズとしてはそれもあるだろうと思われていた程度のものが、
ネット社会といえばそのようなものだと思われる程度にまで拡大した。

また一方で、アダルトサイト、出会い系サイトの問題もある。
一部に問題サイトはあったとしても、見る側の分別があれば、対して害にもならないだろうと思われた。
しかし実際には大きな害悪となっている。

なぜなのだろう。

知恵と体験を持ち合い、普通の友達づきあいのように、しかも遠く離れた人同士でも友人として、
脳と脳とを並列に結合できる。
男と女さえ、関係なく、結合できる。
そのはずが、男も女もことを殺すような言葉を書いていた。

これが人間の本性なのか。

よきネット社会と思って始めたものは
そのまま、悪しきネット社会だったのか。

現実人格とネット人格の落差についても、信じられない思いがあるくらいだ。
なぜそのような違いが生じるのだろう。
興味深いがよく分からない。

女子学生が友人に死ねと書いて、書かれた方は死んでしまった。
本当に死ねというつもりではなかったというのだが。