冷蔵庫のない暮らしを一ヶ月ほど強いられたことがある。
夏の終わりだった。
まず冷たい水が飲めない。
飲料はおおむね生ぬるい。
それだけで体力減退した。
何か買ってくると、明日までもたないので、その日のうちに食べ尽くした。
牛乳の買い置きができない。
ヨーグルトも食べられない。
これは不便だった。
ご飯を炊いても冷凍できない。
これも不自由だった。
冷蔵庫ができて普及したのはここ数十年でしかない。
それなのに冷蔵庫がないとこんなにも不自由を感じるというのは、
生きる力が減退していると考えざるを得ない。
本能が曇っている。
一体私は何を食べているのだろう。
少なくとも、わたしの祖母の世代は冷蔵庫がなくても不自由ではなかったのではないか。
庭に実ったものを順番に食べていたのだ。
いまはそのことがよほどの贅沢になってしまった。