社会格差

現在、各人にとって、社会格差を切実に感じさせられる場面は、
たとえばどんな場面だろう。
そんなに格差は拡大しているのか?

所得の差、労働時間の差、自由時間の差、通勤時間の差、
有給休暇の差、これらが一体となり、格差を構成している。

しかし、所得の格差であれば、支出の工夫をすればいいだろう。
自由時間の格差であれば、これも、時間の工夫をすればいいだろう。

格差が拡大しているとして、
それは、「上昇志向」を産む種類のものなのか、
それとも、「意欲喪失」を招く種類のものなのか。
この点も問題である。

根本までさかのぼり、
なぜ同じだけの汗を流したのに、
能力の違いだけで、
報酬に違いがあるのか、と
いきり立っていても、すでにその議論は終わっているのだ。

自由主義市場経済の勝利なのである。
そして、その制度の難点を微調整するのは、
やはり自由主義市場に内蔵された仕組みである。
そのような思想。

これは解決でもなく目標でもない。
ほとんどこじつけたに過ぎない
結論である。

社会格差を少なくしたいのなら、
社会格差についての報道を制限すればよい。
拉致被害者の問題を国民的感心にしたいのなら、
マスコミを動員すればいいだけの話である。

格差があるのかないのかという事実認定さえも、
蜃気楼のようなあやふやなものである。