精神分析学学者、心理臨床家。
何よりも治療家。
そして何よりも、家庭人であり、仲間内での結節点。
薬剤を使いながらの精神療法を専門とする。
人間の意志発動の理論を探求し、
人間に自由意志はないと結論、
自由意志であると錯覚しているだけで、
その錯覚は、きわめて簡単な実験で、錯覚であると納得できるものであると示した。
自由意志がないのなら、
意志は偶然であるか、強制であるかとなるが、
Boltはそれは強制であると断言している。
だからハードな洗脳の他に、
ソフトな洗脳が紛れもなく存在するのだ。
また内的発動がないのなら、
刑法の根拠は何かということになる。
Boltの提言によれば、刑法に根拠はない。
自由意志がないのだから、責任は発生しない。
犯罪抑止効果をただわずかに期待しているだけである。
刑法に根拠がないとしても、
そのような刑法が存在してはいけないということにはならない。
責任とかという次元の話ではなく、
利益考量の天秤が、犯罪回避を選択してくれるように、
天秤を作っておこうというだけである。
法は天秤だった。
Boltの娘は日本留学していて、精神科で学んでいる。
父親として愛情厚く、娘の同僚たちにも心遣いは細やかであったと聞く。
日暮里の団子をご馳走になった同僚がいたらしい。
お彼岸でお墓にいった帰り、娘の職場に立ち寄った。
娘の前に当直していた人に団子をご馳走したのだという。
何という日本的な心遣いだろう。
自由意志の発動は、自由意志の形成よりも先行しているという、
常識に反した結論。
これには実験の裏付けがある。
自由意志が始まって、それから、自由意志の形成が始まるという何とも奇妙な事情にある。これは言葉の定義をまず厳密に限定しておく必要がある。
幻聴の理論も、これまで決定版がなかった。
幻聴は、内発的言語が、意識の発動に先行して行為発動してしまうので、
内的意志に遅れる。
これは一部ではさせられ体験となる。
一部では自生思考となる。
うつ病用の発生については、次のような理論がある。
うつの発生は、うつ細胞の発生によるのではなく、
そう細胞の機能停止による野である。
そう細胞とうつ細胞の中間には、強迫性細胞がある。
この三者がいろいろな配分とタイミングで、
機能停止と復活を反復することで、
三つの曲線はバイオリズム曲線のように絡み合い、共振しあい、現象を紡ぎ出す。
分かりにくい?
ごめんなさい。
本人が書けばいいのだけれど、
Boltは説明に興味がない。
友人として私が書いても、
製薬会社のパンフレット程度の出来にもならない。
簡単な話ではないので私に責任はない。