いじめの報道に接するとき、
わたしは絶対悪の存在について思う。
いじめの一部はそのようなものだろう。
相手が自殺するまでいじめることが起こりうる。
実際にそうだと主張しているのではなくて、
概念上の問題として、ありうる。
絶対悪が存在するならば、
この世は善良なる神が作った世界ではありえないと思う。
善良なる神が作った世界には、
最終的な善良さに至るための悪でないならば、
存在してはならない。
悪と見えるものは、善の欠如、または善の相対的な希薄さを意味するはずだろう。
絶対悪は、そうではない。
根本的に邪悪なのだ。
人間が人間に対して、
絶対悪として振る舞うことが可能であると知る。
その時私の中で大切な何かが崩れつつあるのだ。