高校で世界史を教えなかった問題について、
いろいろな観点からの議論がある。
結局、
世界史の考え方を教えると、
いろいろとまずいことが起こりそうなんだと思う。
認識を形成する時、
事実と解釈を分けることができないだろうとの立場がある。
世界史ならば、
どのように記述するかが、
そのまま「史観」につながるということになる。
「ただの暗記もの」としての歴史は明らかに排斥されている。
そこで、歴史について考えながら学ぼうということになるだろう。
しかし、一体どのように考えたらいいのか、
「史観」についてどのように考えたらいいのか。難問である。
歴史の形成の原理を考える時、
唯物史観は依然として強力な観点である。
科学的分析として、他にどんなものが可能だろうか。
そして、科学的というからには、唯一の真実であることが含意されている。最近はそのような言い方は流行ではないのだが。
ここは政治的イデオロギーと連動している点でもあり、難しい。
また、近現代史は、いまの日本の社会を否応なく批判的に
見ることにならざるを得ないので、
これもまた、公教育の観点からは、難問を含んでいる。
私立学校の代表者が新聞で発言していたのだが、
役所が定めた「必修」に縛られるのは、
公立学校だけであるという。
これにも驚いた。