権力を独占的に継承し、
それに伴い富も継承している人々の実態を、
なぜ世間は許しておくのかという問題があり、
多分、どの人も多少のおこぼれにあずかっているからであり、
世代交代の間には沈滞期もあり、
場合によっては没落することもあり、
全く安全でもないし、
権力と富は人を必ずしも幸福にしないことも明らかなのであり、
という事情かと思っている。
幸せとは何を意味している言葉なのか、
よく考えてみたいものだ。
私はいま自分の手の甲を見ている。
ここ数年にないくらい艶々と光っているのだ。
これを幸せと言わずして何を幸せというのか。
感情の渦は突発的である。
そんなものに飲み込まれてはいけない。
感情の爆発をそばで眺めているくらいの余裕を持ちたい。
なぜなら感情は所詮一時的なものに過ぎない。
そして人生は短い。
経験すべきことも多い。
この秋は充分に国内の秋を味わうことができた。
ありがたいことだ。
たとえばの話、代議士と秘書と選挙民の三者の関係がある。
代議士は世代交代をうまくしないと秘書に地盤を奪われることもある。いつだって綱渡りである。
旨味のあるポストには危険もつきまとう。
そのような状況で、いかに気力を振り絞り、
他人に対して冷酷にもなり、操作的にも振る舞い、
そんなことができるかと自問自答する。
私にはできないし、そんなことの中に幸せはないと思う。
私はむしろそんなことから遠く離れて、
静かな地点から、この世の地獄を描写したいのだ。
実際には簡単に出来るものでもないのだが。
ホテルのカウントダウンか、
お寺の除夜の鐘か、考えている。
寒かったらホテルで、気力があれば除夜の鐘。