「学力があぶない」 大野・上野 岩波新書2001年

この中で大野晋氏が語る。
これからの教育で大事なのは、
ひとつは「事実を重んじること」であり、
ひとつは「論理的に考えること」である。
この二つを教育の根底に置くべきだ。

きりりとしたよい提言である。
当たり前のことだけれど。
そしてこんな基本ができていない人なら、
さっさと滅びてしまうだろう。

事実を曲げないで直視するとは、
サッカー選手のように嘘をつくなということ。
いいプレイなら国籍に関係なく拍手すること。
論理的におかしなことを言っている人のことは信用するなとは、
政治家、政党、企業、団体、個人の嘘を見抜けということである。

日本サッカーも頑張って勝ちたいということを表現する時に、
絶対勝てる力がありますと言ってしまうなら、
事実の誤認があり、それはレトリックの範囲を超えて、
教育の基本がなっていないということだ。

国・地方自治体の借金が1200兆円とも見積もられている時に、
使い方について論理的な説明ができないで、
さらに使った本人が過去の痛切な反省も語らないで、
済むはずがない。

2000年時点での指導要領の問題が語られているのだが、
2007年正月の時点では
教育基本法の反憲法的変更が確定していると、
記録しておこう。

本の中で、段落を分けて、一文字空けて始める、
これは小学校で身につけさせたい基本であると、
書かれている。
わたしは段落始まりの一段下げを
もう長い間採用していないので、
耳が痛い。

わたしの文章はロジカルではないからだろうか。
反論1.
文章を整形する時、段落始まりの一字下げを指定することが多い。その時は、テキスト文章で一字下げをしていると都合が悪い。
反論2.
最近の文章は改段が多くて煩わしく、いちいち一字下げしていたらさらにみっともない。
反論3.
わたしは詩のつもりで書いているので、
論理的文章体の一般説は適用されない。
一字下げする詩は、現代詩の散文詩であり、
そんなものはわたしは採用しない。