この中で大野晋氏が語る。
これからの教育で大事なのは、
ひとつは「事実を重んじること」であり、
ひとつは「論理的に考えること」である。
この二つを教育の根底に置くべきだ。
きりりとしたよい提言である。
当たり前のことだけれど。
そしてこんな基本ができていない人なら、
さっさと滅びてしまうだろう。
事実を曲げないで直視するとは、
サッカー選手のように嘘をつくなということ。
いいプレイなら国籍に関係なく拍手すること。
論理的におかしなことを言っている人のことは信用するなとは、
政治家、政党、企業、団体、個人の嘘を見抜けということである。
日本サッカーも頑張って勝ちたいということを表現する時に、
絶対勝てる力がありますと言ってしまうなら、
事実の誤認があり、それはレトリックの範囲を超えて、
教育の基本がなっていないということだ。
国・地方自治体の借金が1200兆円とも見積もられている時に、
使い方について論理的な説明ができないで、
さらに使った本人が過去の痛切な反省も語らないで、
済むはずがない。
2000年時点での指導要領の問題が語られているのだが、
2007年正月の時点では
教育基本法の反憲法的変更が確定していると、
記録しておこう。
本の中で、段落を分けて、一文字空けて始める、
これは小学校で身につけさせたい基本であると、
書かれている。
わたしは段落始まりの一段下げを
もう長い間採用していないので、
耳が痛い。
わたしの文章はロジカルではないからだろうか。
反論1.
文章を整形する時、段落始まりの一字下げを指定することが多い。その時は、テキスト文章で一字下げをしていると都合が悪い。
反論2.
最近の文章は改段が多くて煩わしく、いちいち一字下げしていたらさらにみっともない。
反論3.
わたしは詩のつもりで書いているので、
論理的文章体の一般説は適用されない。
一字下げする詩は、現代詩の散文詩であり、
そんなものはわたしは採用しない。