悲しくて思考停止 渋谷区エリートサラリーマン夫殺害事件

あるブログからの引用
内容が内容なので
ソースは秘匿
しかし大切なことを含んでいるように思う

妻が夫を殺害した。夫には暴力癖があり、アルコール問題もあったらしく、
一方、妻の側にも、テレビショーによれば、勝ち気で……といったような、
性格評価が下されている。

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この事件、立派なDVが原因なのになぜマスコミはそこに触れないのか?
殺害前日には鼻の骨を折られていたそうだ。
毎日毎日殴られ罵倒を浴びせられ、いつ殺されるか恐怖のどん底にいたであろう。
殺すか殺されるかどちらかしかなかったであろう。

子どものいじめには国も声高々に対策を練る『ふり』をしているのに、
家庭という小さな社会には目もくれない。
それは自分達が同じことをしているからに他ならない。
私は××市役所の職員に「国は何もできないから死ね!」と言われた。
警察には「そんなヤツに掴まったお前が悪い!」と言われた。

小さな社会で頻繁に起こる事件を目の当たりにしている子どもが
学校という社会でやっても当然と思うのは当たり前ではないか!
根本を正さず目前のことだけなんとかしようとしても無駄なのに。。。


私も私の最後の仕事が終わったら、ヤツを殺してやりたいと思っている。
それだけのことを私はされてきた。

この犯人である奥さんは本望であったろうと思う。
しかし、隠蔽しようとしたことは私には理解できない。
私ならその場で自殺するか自首するであろう。
国も警察も税金という名の搾取をしておきながら、
本当に困っている人間には何もしない・できないのだから、
自分の手で成敗することに誰が意義を唱えることができる?
法は弱者の前では常に無力である。
「やったもん勝ちだ!」と国自ら言い切るのだから、
こちらが実力行使をすることに文句を言われる覚えはない。

この犯人の刑が少しでも軽減されることを願う。

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以上のような文章である。
悲しいけれど私にはこの人をうまく説得できる言葉がない。
ただ思考停止するばかりだ。

市民が構成する社会も、統治組織である国も、
結局は弱者の痛みには鈍感なのだと思う。
社会は強者が構成する場所である。
弱者にはただ苦しい場所である。