東大寺の人事

これも朝日夕刊のニュースである。
先日司馬遼太郎の空海を読んで、東大寺が気になっていた。
何しろ、奈良仏教の本丸で、世界一の仏像と木造建築、
華厳宗の総本山、しかし諸宗派には暖かく、交流を育む。
土門拳や入江泰吉の写真集の中に東大寺を見つけて、眺めていた。
さすがに仏像やその他の収蔵物は、超一級品である。
解説の中に、華厳宗では大日如来とは言わないが、
空海が持ち込んで以来、東大寺では大日如来を主な仏と考えているという。
また、お水取りのような行事があり、他にも、禊ぎのような修行がある。
苦行を乗り越えれば、一段高い悟りの境地となるらしく、
いろんな名前が付いていて紹介されているが、全然仏教的ではないと思われる。
これは日本古来の神道系の禊ぎと連結しているらしい。
このように時代時代でいろいろな夾雑物を飲み込みつつ育ってきたお寺ということらしいのだ。
純粋主義(ファンダメンタリスム)がともすれば過激、狭隘なものになる中で、
このように、知的・倫理的には寛容すぎる処し方も、大切な道かもしれないと思った。
仲良くする方が大事というわけだ。

とにかく、美術品としてみても、すばらしいものをたくさん抱えているお寺である。
仁王像や諸物、西域の人間のお面まで、すばらしい造形が写真になっている。

当時の天皇が、「ただ建築すればいいというものではなくて、
みんなの心を一つにして実現したい」、みたいなことを言っているし、
亡くなってからは、奥さんが、天皇の身の回りにあった大切な品を寄付したそうで、
たいへん格式の高いお寺ということになるのだそうだ。

戦争当時は、大きいから爆撃の目標にされるのではないかと心配したらしい。
当時の偉い人の説明によると、
一番大きい寺なのに、宗派としては日本で一番小さいと説明してあった。
いわゆる伝統的諸宗派の中で、という意味だと思うが、意外だった。
やはり密教系は人気があるんだな。
呪文があるし、曼陀羅とか、ビジュアルな要素もあるし。
即身成仏なんて言われたら、
弱っている人は、やはりふらふらしてしまうだろう。
四国遍路をはじめ、民衆に根ざしているという感じがする。