モンテーニュ先生はこう言う。
「精神を鍛錬するのに最も有効で自然な方法は、
私の考えでは、話し合うことであると思う。
話し合うということは、人生の他のどんな行為よりも
楽しいものだと思う。」
そうか。孤独の中で省察することではないのだな。
これも円熟した境地である。
普通の、健全な判断がどのようなものであるか、
自然に体得される方法が、話し合うということである。
例えば、厚生労働大臣の発言として、
子供が二人以上欲しいと望むことが若者の健全な希望だ、
などと、自身の「産む機械」という「問題発言」のあとでなおも発言してしまう、
その常識の欠如については、
やはり話し合い、他人との共同の世界を認識できていないという点で、
未熟なのだと思う。
最初の、「産む機械」発言に関しては、その発言のビデオを見たけれど、
たいして問題となるものでもなかったような印象を持ったものだ。
例えは揚げ足をとられる危険がある、つたない例えであったけれど、
何を考え、伝えたいかについては、理解できる範囲であった。
しかしこの場合も、最近の情勢はどうなっているのかを勘案すれば、
余計なたとえ話などをすべきではなかったと反省はされるだろう。
もっとも、出生率を上げて、人口を現在水準に保つことが、
どの点で望ましいものなのか、深い考えがあっても良かった。
国力の維持というおおざっぱな考えもあるし、
税収や労働人口やそんな統計数字が大切と考える人もいるし、
一方で、そんなことより大切なのは個人生活の快適さで、
日本が都合悪いなら他の国に行けばいいと思う人まで、
いろいろいるのだということを大前提にして、
発言して欲しいものだと思う。
要するに、役人にレクチャーされるだけで、話してしまうのだろう。
もっと広く話し合う姿勢を持てば全然違うのに。