この「君が代」の言葉の中で、
小さな石が大きな石になるなんて変じゃないかという意見があり、
たとえばWikipediaでは次のようである。
小さな石が大きな岩になるという内容が非科学的であるという批判も一部にある。これに対して細石(さざれ石の項目を参照)についての詳細など、先に述べた歌詞の正確な内容がほとんど知られていない事による誤解が広まっている。小さな砂粒が大きな石になる例には、細石やストロマトライトなどが知られており、またチャート(SiO2)や石灰質岩により他の岩石破砕物を固結する例もよく見られることである。堆積岩、水成岩である砂岩や礫岩などは、砂の粒子が大きな岩体に固結する仕組みとも言える。しかし、それら「科学的反証」とは別に、そもそもこのような古典楽曲に科学的根拠を求める必要性があるのかという意見や、国歌とはいえ「詩」という文学的、比喩的表現の中に厳密な「科学性」を求めること自体に矛盾があるともいえる。
また「さざれ石」の項では、
さざれ石(細石)は、小さな石の欠片の集まりが炭酸カルシウム(CaCO3)などにより埋められ、1つの大きな石の塊に変化したもの。「石灰質角れき岩」とよばれる。石灰石が雨水で溶解し、石灰質の作用により、小石がコンクリート状に凝結して固まってできる。
日本国国歌「君が代」の歌詞に歌われることで、その名が知られている。 ただし、歌詞中のさざれ石(細石)は文字通り、細かい石・小石の意であり、それが巌(いわお)となった状態のものが現在、さざれ石と呼ばれている。
日本では滋賀、岐阜県境の伊吹山が主要産地である。
以上の説明がある。
このことが気になってのは、先日、録画していた「世界遺産」を見た時だった。
古代ローマの水道を紹介して、
中に、水漏れが多年にわたり、石灰分が成長して、巨大岩石のようになっている場所が紹介されていた。
さざれ石は小石が素材で石灰分が接着剤ということのようであり、
ローマ水道の場合は石灰分それ自体が凝固して巨大になったということのようだ。
さざれ石という現象はあるだろうが、
それは長い年月を経て小石が巨大石になるということではなくて、
小石がくっついて大きなひとかたまりになったということのような気がする。
鎌倉にも君が代の言葉を説明して、「さざれ石」の展示物があり、
やはり小石がくっついたもののようだった。
それよりは、核になる小石に石灰成分が持続的に固着して、
長い年月のうちに「大きくなった」というほうが君が代の言葉の
説明になっているような気がする。
小石が集まって固まって、その上に苔が生えた
というのではあまり感動しない。
小石だったものが巨大岩石になってさらに苔まで生えた
と成長を歌うのがよいように思う。
それが実際可能であるようだから。