・小柳ルミ子「春の訪れ」
春の渚をあなたと歩く で始まる
懐かしい歌だ
何かの時に、成育の過程で歌謡曲がどんなに私の感受性を決定してきたかを説明しようとして、「春の渚」と言えば、この歌が思い出され、一点のくもりもない幸せにつつまれる若者の像と、春、海、波、が結合しているのだと話したことがある。
春の渚を恋人と歩き、娘の父の待つ家へと向かうのである
何という完璧な幸せだろう
何かの時に、というのは正しくない。とてもふさわしくない場面であった。どうしてあんな時にあんなことを言ったのか、いまでは説明できない。
あの日、私は、誠実でなかったのだろうか
失われた人生をいま、いとおしく思う
・いるか「なごり雪」
これもこの季節の歌である
季節の気分を作り出している歌
愛というのではないが
物理的な別れに際しての歌であった
恋愛がなくてさえ、別れはたやすいものではなかった
いつか私を満足させる愛が
そう思っているうちに年老いて
また春を迎えている
あといくたびの春を期待できるだろう
そう思い桜の散歩の計画を考えている
・泉谷しげる「春夏秋冬」
季節のないまちにうまれ
風のない岡に育ち
夢のない町を出て
愛のない人に会う で始まる
今日ですべてが終わるさ
今日ですべてが報われる と歌う