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- 「渓村春雨」は玉堂1942年の作で、水野美術館蔵である。
- 桜は咲いて山は雨に煙っている。山中の川には水が満ちている。
- 画面中央を左から右に流れる樋の中を水が勢いよく流れている。水車は勢いよく回っている。
- 二人の人が大きすぎる傘をさして歩いている。なぜこんなにも傘が大きいのだろう、分からない。
- 家の屋根は茅葺きで、春というので若芽も吹いている。いずれ時期を見て屋根の草刈りもしないといけないだろう。玉堂の別の絵で、茅葺き屋根に生い茂った草を刈り取る図がある。
- 手前の草には若芽が見える。遠くの樹々の葉は雨に煙り色の弁別も出来ない。近景、中景、遠景のつながりは悪い。
- 玉堂ほどの達筆を持ち、しかし、ゴヤのような精神がないとなれば、このような伝統的な絵画におさまるのだろう。目に映るもの、感情を動かすものを、片っ端から描くような人ではなかったようだ。
- それにしても、絵を描くとは、何と無尽蔵な創造行為だろう。無から出発し、途方もない価値を作り出す。
- 建築構造の話。水車の上にある樋の足は、普通に考えると、一本足りないように思える。樋自体を三角形の一辺としなければ、構造が決定しない。なぜこのように不安定な構造かといえば、この部分については、水量に応じて、季節に応じて、水の放出位置を調整する必要があるためではないかと想像する。
- 玉堂の絵の中での水車にも二種類あり、右から水が流れているとすれば、水車の右側に水を落とすものと、左側に水を落とすものとがある。どちらがいいのか、場合によって使い分けるようで、二つともが描かれている。そして水の放出高度に関しても調整が必要なはずで、上ならば勢いはつくが命中精度が下がり、水車に近付ければ勢いは悪くなるが精度は高まる。
- この絵で描かれている水車小屋は非常に危険な場所にある。しかもいま水浸しである。私ならこんな場所は使いたくない。