「みちのおく」と題された章に次のような話がある。
五十も過ぎたと見える、目の見えない二弦琴の芸人が語る。
私は師について大和絵を学び、三十になるころには、一応の評価を受けていた。しかしあるとき突然絵が分からなくなった。絵とはどういうものかが疑問になり、絵が描けなくなった。
しばらく苦しんだあげくひとつの解決に至ったものの、こんどは世間が絵を認めてくれなくなった。自分としては一段と深く絵の道に入ったつもりであったのに、認められなかった。自分は絶対に正しいとも思われず、改善すべき点は何か、世間の評判にも耳を傾け努力した。しかし努力すればするほど、受け入れられず、生活にも困った。
そんな中、突然目が見えなくなってしまった。絵で生きることはできなくなったので、楽器を持つことになった。いまは諸国を巡り歩いている。
そんな境遇となってからも、絵を忘れることはできず、頭の中で絶えず絵を描いてきた。空想の中で描き始めて、実際に描くのと同じだけの時間をかけて描いた。大小さまざま、十五、六幅の絵が完成した。頭の中にはどの絵もくっきりと保存されており、細部までありありと広げてみることができる。
しかしその絵を他人に見せることはできない。目が見えていた頃に描いた絵も、人に認められなかったのだから、こうして人に見せることができない絵を描いていても、同じようなことだ。現実にも、空想の中でも、人には理解されない絵を描き続けてきたことになる。
業平の歌に
おもうこと いわでぞただに やみぬべき 我とひとしき 人しなければ
という。
自分と同じ人間はいない。頭の中にだけある絵は、人に理解もされないが、悪評されることもない。
それでいいのだ。親子、夫婦、どんな親友であっても、理解されない部分はある。人間は常に独りなのだ。
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以上のような具合で、「自分の頭の中にだけある絵」についての話は、
人間の内部にあるイメージ・システムの「流通不可能性」を提示していると思う。
それを孤独と詠嘆することも可能であろうし、人間にとっての原理的な基礎条件とニュートラルに受け取ることもできる。
相互に完全に理解するのは不可能であるが、しかしそれでも、生活に不便のない範囲で分かり合えてはいるのだ。
人間は生活のうちに自ずから、どの範囲で分かり合えるのか、どこから先は理解をねがっても無理であるか、知るようになる。
そしてある日、自分の内心を分かってくれる人にめぐり会う幸福も味わい、またある日にはその同じ人の深い無理解に出会い絶望するのだ。そのうちに短い一生は終わっている。