ねころんで朝日新聞を読んでいたら
手が真っ黒になっていた
朝日の紙面では今日で折々の歌がおしまいになるのだという。
しかしこれまでも休んだりなんかして紙面にない期間もあったのだし、
多分また大岡氏でなくても誰か書きたがるに決まっているので、
これで終わりかなんていう感慨はあるはずはないが
新聞社としては区切りなのかどうか記事に仕立てていた。
明日から紙面が変わる、一面に記事の一覧だか要約だかが出るという。
そういえば、昔の新聞を調べると、新聞名の下の小さな見出しがないのだった。
新聞記事では、巨人軍の高橋由伸が先頭打者で、セ・リーグの開幕第一球をホームランしたという。
この人は第一球目を見事に打つことも多く、
投げる側からすれば、球種で待っているようでもないし、
ゾーンで待っているようでもないし、
何を投げても打たれるようで、全く理解できないのだと言っている。
本人にすれば長嶋茂雄みたいに来た球を気合いを入れてエイッと打っているだけなのかもしれない。
新聞インクを石けんを付けて洗った。
お医者さんで腕時計をしない人がいるのだという。
手を洗うとき邪魔になり、充分な手洗いができず、清潔を確保できないからだという。
そういえば腕時計は手洗いのときには邪魔なように思う。
帰ってきて、折り込みに入っていた、六本木、東京ミッドタウンのチラシを見る。
立派なチラシだけれど、情報量は多くない。そして情報間の内的関連を示唆する洞察もない。
情報が少なくて頭も悪いならどうしようもない。
印刷を見るとフレンチとか、写真に撮ればきれいな系の料理がのっていたりして、
私の反感をますますあおる。
洋服だって、普通の人は着られないだろう。高いからじゃなくて、似合わないから。
ユニクロとかイオンとかに置いてある安物は組み合わせに苦労しないからとてもいいのだ。
ウェストはゴムのことが多いのでこれも毎日反省しなくていいので大変に楽だ。
今日を最後に天声人語の筆者が交代になるのだという。
後任は二人いて、海外支局での仕事歴などを紹介していた。
エリートさんは国内をどさ回りしていたりはしないものなのだ。
朝日新聞の内部で恋愛して、支局移動で悲しい終末恋愛をしているという話ももう過去のもので、
国境を越えた愛になってしまうのだ。
この天声人語で松尾芭蕉の句を紹介していて
さまざまのこと思い出す桜かな
という。
なるほどわれわれの素朴な感情では、確かに桜は人間の感情を揺さぶる。
桜の花はそういう独特な花だということになる。
しかしそうではないと私は思う。
3月はじめから4月始め、そして終わりに書けて、季節の影響で、
人間は涙もろくなったり、抑うつ的になったり、あるいは躁的になったり、過剰に心配したり、興奮したりしているのだ。
桜が咲いても咲かなくても、花があってもなくても。
そんな状況の中で、桜が咲いて、それはやはり豪華な感じではあるので、
桜が原因とされてしまうのだろう。