現実から退却

こういう状況に至り、
(どういう状況か簡単にはわからないと思うけれど)、
次の一手に窮してくると、
私の場合はどんどん現実から離れてしまう。
恐ろしいくらいだ。

過去においてもそんな場面があったので、
これは偶然ではないことが分かる。
このままでいいはずはないのだが、
一歩が踏み出せない。
そしてずるずると一日一日を浪費してしまう。
そのうちに、何かおかしな屁理屈も思い浮かび、
ますます現実から退却して、自分の内側に閉じこもるようになる。

閉じこもることで、世間に対する不都合は感じる、さらに自分としても不全感を感じる、
しかしその一方で、これがむき出しの人生というものではないかとも思うのだ。

それは死の感覚である。
死という行き止まりに直面したとき、人間は観念するしかない、
その場合に、多分、現在の私のように、呆然として、
ただ目の前を流れてゆく景色を遠くのもののように眺め、
すべては虚無で意味はなく、
この世のこともただの夢に等しいのだと、
自分に語り続けるのだ。

経験によれば、この状態は永遠に続くものではなく、
状況が変わり、目先のことに煩わされるようになると自然に消えてゆき、
自分にこんな面があったことさえも、すっかり忘れてしまう。

そんな振幅の中を私は揺れながら生きているようだ。

いいことは、退却するに際しては、特にお金がかからないことだ。
収入がなくなるのは困るけれど。