大江健三郎・再発見 すばる編集部・大江健三郎

これはとても面白い。

大江健三郎という人はとにかく大変な勉強家だということが

分かる。

丸谷才一とか、大江健三郎とか、一体どのようにして読書して、

その内容を吸収しているのだろう。

私などは人生は短すぎると思うのだけれど、

このような傑出した人たちにとっては、人生は短すぎることはないようだ。

これは井上ひさしの文章で見た一節だけれど、

過去の偉大な人たちが何を読んで考えたのかと言えば、

いまの私たちよりは不利な環境にあるはずである。

だから、何を勉強するとか、読むとか、そんなことが大切なのではない。

生きている中でどのような態度で生きているかということが大切なのだろう。

そんな趣旨のことだったと思う。

話は元に戻って、「大江健三郎・再発見」の中で、

自分にあった方法を見つけること、

自分にあった仕事を見つけること、

そんな一節があった。

なるほど、そうだと思ったのである。

たとえば、かなり若いうちならば、

ある組織の中で指導的な地位を得たいと願えば、

自分にあった方法だけ、自分にあった仕事だけでは、

将来に希望を抱くことは難しいのではないかと思う。

ある程度妥協も必要であり、

また、若いのだから、経験が必要なはずで、

その意味では、広く体験してみることに意味があるだろう。

(ピアニスト、マルタ・アルゲリッチは、若い頃、

私には経験は必要ないと豪語したらしい。)

しかしその時期も過ぎて、

あとは静かに生きればいいと思った時に、

自分にあった時間の過ごし方、

自分にあった仕事の仕方、

そのような点についてある程度わがままになったとしても許されるように思う。

流儀といえばよいのだろうか。

要請されることをこなすのではなく。

自分に合ったことをやる。

それはいいことだと思う。

いままで私は無理をしてきたように思うのだ。

もっと自分を甘やかしてもいいと思う。