日本橋高島屋で。
野田弘志は精密写実の人。
たとえばブドウの精密な描写、ため息が出る。
何の解説もいらない。
子供でも驚嘆する。
隣の会場では、かな書道展。
これもすばらしい。
精密描写といい、かな書道といい、
長い道のりの果てに到達した地点である。
このところ読んでいる大江健三郎や丸谷才一の勉強ぶりと合わせても、
ひとつの人に長い時間を捧げた人たちの達成には
脱帽である。
振り返って、我が身の貧しいことを恥じるのだ。
私は一体何をして時間を過ごしてしまったのだろう。
それがいまとなっては悔しい。
少年老いやすく、学なりがたし。古くからいわれ、実際にその通りであった。
しかし私の人生はまだ続く。
一体どうしたらいいのだろう。
いまさら。
何もしないで過ぎてしまった時間は大きすぎる。
嘆いてばかりいないで、
自分のできることを少しずつ。
公文式である。
学習塾の公文式には少しだけコツがある。
できないことを次々にトライしてると疲れてしまうので、
できることを何度も練習して習熟し自信を持つ。
そのうちに次のステップが自然とできるようになっている。
私も次のステップを焦らないで、
いま自分にできることに専念しようではないか。