大江健三郎・再発見 すばる編集部・大江健三郎 4

かれらの生まれた場所に再び帰って来る者らは、滅びてしまう。

生まれ故郷に帰る人たちは、そこで非業の死を遂げる。

生き延びる人たちは、遠く離れてゆく人物たちである。

彼らが故郷に帰らない理由。

生き延びる者らは、そこから遠ざかる者たちなのだ。

都市で生き延びる者らは、故里の土地から離れていることで、

強く苦しんでいる。

その苦しみの強さは、遠心力からつなぎとめる綱のようにして、

異郷での生活の、漂泊のであれ、追放されてであれ、その生存自体を支えている。

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異郷にて漂泊を続ける意識。

鮭が川を遡り、生殖の後に死んでしまう、そのような凄惨な本能を思う。

故郷には毒が仕込まれている。

故郷の毒は麻酔のように効いて、

個体を種に奉仕させ、

一瞬の幸福の後に死が訪れる。

故郷の内部に居るならば、

その幸せに依存はない。

そのほかの生き方さえ、思いつかない。

それでいいのだ。あるがままでいいのだ。

異郷にて放浪する身が感じているのは、

常に、永遠に、満たされない、わが心である。

心休まる我が家もない。

自分の出自を説明する神話もない。

どの家にも、伝承されている昔話があるものだ。

その中で自分の存在は説明可能なものになる。

住まいのことで考えた。

月に家賃が20万円とする。一年で240万円、8年で2000万円である。

何というべらぼうな数字だろう。

家賃という、人間が制度としてつくったものに支払う金がこんなにも高額であったか。

逆に、住まいの場所、仕事の場所、集いの場所を、根こそぎ奪われる苦痛を思う。

故郷は捨てるものだ、それはいい。

しかしまた、一つの場所を追放されることの痛みは格別につらい。

追放のあとに来るものはさすらいである。

安住の場所を持たない。

心が安定しないから安住できないのでもあるし、

安住できない生活を続けているから、心が安定しないのでもある。

しかし考えても見てほしい、

8年で2000万円と提示されて、安住などできるものか?

このような制度を国民のすべてが暗黙のうちに肯定しているというのだろうか?

まさにそのような社会に違和感を抱く。

そのような社会からは、はみ出して、漂泊するのが正しいと思う。

この社会で、必死になって身を守るべき実体はない。

いまこの瞬間にも大量に病院で死んでいる命。

生きているあいだ大切にされなかった命なのだ、

死ぬ瞬間に大切にされるはずもない。

病院で最後の瞬間、家族から声が漏れる。

この人はやりたい放題やったのよ、満足のいく人生だったと思うわ、

結果はこんなもんだけど、悔いはないでしょう。

そんな人生もある。一方で、

この人は我慢ばっかりして、かわいそうだったわ。

少しは思い通りにしてもらえばよかった。

もう少ししたらわがままもしてもらおうねなんて言っていた矢先だったのよ。

そんな人生もある。

無論大抵はその混合物であって、ほどほどの妥協点を生きているのだ。