文学からの解放
書くことから自由になった人生に対してノスタルジーを抱く
逆に、
文学だけが大江さんを文学から解放できる。
小説を書くのを病めて丸三年、
スピノザとその研究書を読んですごした。
想像力の職業というものに見切りをつけたかった。
私は小説を書かない自分はまったくなにものでもない、
という強迫観念にとらえられた。
三年間の終りに、小説を書かない自分は、またくなにものでもない、
という思いに辿り着いてしまった。
文学のみが人を文学から自由たらしめる。
今後、いかに文学から自由になって死んで行くことになるかを、書こうとしているのだ。
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仕事をしていない自分はまったくなにものでもない
そのことは悪いことばかりではない
仕事をしていれば世間を渡るには足りるのだから
なぜなら、仕事を通じて、人は社会からの期待値を受け取っている
仕事を通じて受け取る期待値と等価の期待値を他の活動を通じて受け取るのは、
当然ながら、無理な話である。
私はこつこつとひとつのことに打ち込み、
持続を評価してもらえるようになりたい。
思いつきではなく、持続を評価してもらいたい。
こんどは自分の不得意なことで社会に挑戦しようというのだから、
まったくばかげているのだった。
こんな思い付きを語っている暇があったら、さっさと持続の仕事を開始するのがよいだろう。