実際にものを作る人と、それを評価する人
たとえば、プロ野球の選手と評論家
評論家にやってみろといってもできない
しかし、イチローと松井について、比較して評論できたりする
イチローはバットを振る
評論家は言葉で表現する
だからかなり違う
別の分野では文芸評論
実際の作者と評論家
この二者はどちらも言葉で表現している
評論家の仕事は、
文芸作品についての文芸作品とも言えるくらいだ
評論家は、イチローほどにはバッティングができない
それなのに、イチローのバッティングについて語ることができる
なぜか?
それには理屈があって、
もし、評論家に、イチローの運動神経と筋肉とが備わっていたら、
立派に打てるだろうと考える
文芸評論の分野では、
実作者も評論家もどちらも言葉で文章を組み立てているだけなので、
イチローと評論家の違いはない。
そこで、実作者が、どうして理解していない人の解説なんかを受け付ける必要があるのかと思ったとする
分かっているならできるだろうし
できないなら分かっていないだろうと言えるか?
野球なら、分かっていてもできないことはある。
文芸では、分かっていたら、できるだろう。
そう思ってはいけないか?
本当に最先端の芸術を分かる人なんか少ないはずなのだ。
分からなくて当たり前だろう。