紅白歌合戦 歌垣 贈答問答歌

朝日新聞で、紅白歌合戦を続けたらいいという人は、

100人のうち56人。

各界で活躍する100人に聞いたという、

実に新聞の権力丸出しの記事。

一方、中国少数民族・トン族の歌い手を招いて、

歌垣実演してもらうのだという。

歌垣は、男女による歌の掛け合い。東南アジアに広く分布。

男女が歌を掛け合い、歌い継ぐ方法は、

万葉集の贈答・問答歌でも知られる。

ワーグナーのタンホイザーでも、歌合戦がある。

春、種まきの前とか、秋、収穫の頃、夜に若い男女が集まり、

互いに求愛歌を掛け合いながら、恋愛関係になる。

豊作を祈りつつ、自分たちも子孫繁栄の方向で、ということになる。

飲食しながら歌を掛け合い、多くは性の解放を伴っていたらしい。

言霊の強い側が歌い勝って、歌い負けた側は相手に服従した。

これは男同士が競って、勝ち負けを決めるということなのだろう。

勝った男は、一番強い気持ちで女を求めたのだから、その夜の権利がある。

このあたりは、プロ野球のドラフトのようなものだろう。

(もともと決めてあった二人も、この場を利用して、周囲にカップルを宣言するだろう。)

昔トンネルズがやっていた、

「ちょっと待った!」のような場面もあったはずで、

若者には楽しい一夜だろう。

万葉集巻九の「率ひておとめおのこの行きつどひかがふ嬥歌に 人妻に吾も交はらむ 吾が妻に他も言問へ」は有名。

未婚男女だけではなかった様子だ。

時代が下るにつれて、未婚者による求婚行事となっていった。『古事記』には二人の男が女をめぐり歌をたたかわせたとある。

どちらが勝ったかを判定する方法は書かれていない。

新古今集の時代に歌合せにより、歌の優劣を決める時代が訪れるが、

その前段階のことのように思われる。

もちろん、判定はあいまいな方がいいのであって、

女は好きなほうの男を選べる。

その意味では、女にとっては、定家も後鳥羽院も、余計な奴らなのだ。

今も昔も、歌にはセックスアピールがある。

「芸能」の原型である。

歌う姿を見れば、

健康状態や気迫の程度が分かる。

歌には踊りを伴うことも多いだろう。

恋が始まる。

しかし、推定するに、

この一夜で配偶者を決めるというものではなかっただろう。

自分で配偶者を選択するなどできるはずがなく、

大抵は有力者が、ときには親が決めていたものだろう。

そしてそのような婚姻とは別に、恋愛感情というものはあるはずだ。

その気持ちを実現する、限定された抜け道はあったものの、

現実には難しいことも多かっただろう。

歌垣のような機会を利用して、婚姻外の交友を広めたのだろう。

そして、この、公認された日のために、二人は準備するのである。

歌で強く求められ、それは誰にも増して強いもので、

拒むこともできなかったほどなのだと、

示し合わせた二人は演じるだろう。

偶然とはいいながら、

あんなになってしまうなんて、などといいながら。

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さて、このように概観してみると、

歌合戦というものは、異性を求めて同性が戦うものであって、

赤組か白組かという勝負ではないことが分かる。

勝っても何もいいことがない勝負なんて珍しい。

また、

男女が相手を選ぶことが本質であって、

歌はその手段に過ぎない。

したがって、

まずお見合い番組と大枠を決めて、

その中で、自分をアピールするために、

歌や踊りを披露すればよいのだろう。

男女20人くらいずつを用意して、

まず一通り、自己紹介の歌を歌ってもらう。

そのあと、一人の男は一人の女にプロポーズする。

その女について他に立候補者がいなければ、それで決まり。

その女について、他に立候補者がいたら、

そこから歌合戦が始まる。

候補者3人くらいの歌を聴き比べて、

この人にしますと最後に決める、そして二人で消えていく。

しかしこれでは子供と一緒に笑ってみるというわけにもいかないか。

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タンホイザーにしても、エリザベートの純愛に救われるのだが、

歌を歌うくらいしか能のない男がどうしてそんなにも純愛をささげられるのか、

いまだに理解できない。

歌というものは、それほどの力があるということなのか。

それは何かの寓意なのか。