政府、つまり中央集権制は、
選挙による主権在民を標榜しているものの、
それは形骸化している。
われわれ国民は、選挙によって大切な何かを選んだ経験があるだろうか?
税金に見合ったサービスを受けているとは思えない。
防衛庁関係の支出にしても、選択した覚えのない項目で、莫大な支出がなされている。
しかし、選挙による信任があるので、いいことになっている。
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あるとき、学園祭で、一部の人が映画をつくろうと言い出した。
勝手につくる分にはかまわなかったけれど、
強制的に一人何千円か徴収して回った。
品のないことをするものだが、
これが国家の原型なのだと思った。
何も関係のない、かかわる気のない人間からお金を徴収するのではなく、
かかわりたい人がお金を持ち寄り、つくり、
映画を見たい人からお金を集め、決算すればよかっただけなのである。
それがフリーマーケットの当たり前の考えである。
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自治会でも同じようなことが起こる。
何かの募金の割り当て。
何かの施設を新しくするとき。
自治会費とか、マンションならば管理費とか、そんなものの中から、
強制的に出費させられている。
私道整備やマンション共有部分などは、最終的には多数決しかないだろうが、
それにしても、
小さいけれど、これも強権的な発想である。
小さなことで抵抗すると、「いやな人」というレッテルを貼られるかも知れず、
そのことと、小さな経済的損失とをはかりにかけると、
面倒なので、何も発言しない。
そのようにして、強権的な人々は増長する。
おおむね、田舎の方が強権的である。
都市部になると、理論派の論客がたくさんいたりして、
強権的な人々も、入念な根回しなしには何もできない。
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NHKの受信料なども、こうした発想を感じる。
wowowなどはきちんとしている。見たい人が支払う。それで当たり前ではないか。
理屈をつけているが、NHKはおかしい。
国民に何かを強制することは、もっと遠慮しつつ、行なってほしいものだ。
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日常会話で、「税金だと思って諦めなさい」と言われることがある。
自分にとっては全く利益にならない犠牲だけれど、
諦めなさいという意味だ。
そんな税金であってはいけないのだ。
こう考えてくると、
中央集権はやめて、なるべくフリーマーケットで、
個人が個別に選択して購入する、
そのほうがいいような気がしている。
道路がもう一本ほしかったら、有志でお金を出し合って作ればいい。
東京の人の税金で島根の「むだな」農道を整備して、
島根の土建屋さんに儲けさせるのはやはりおかしい。
公共事業は半分になったといいながら、
自衛隊では高い買い物をしているのだった。
一方で、昔ながらの安心できる社会が懐かしい。