国家が規制しているがゆえに非効率な世界 たとえば放送業界

普通、自由を野放しにしておくと、不平等がはびこるといわれる。しかしそうではない。

「自由は平等を促進する」という指摘は正しい。所得格差の大きな部分は、実は国家権力によるレバレッジ(てこ)の原理によるものだからである。国家権力による不平等を取り除けば、むしろ、平等になる。

電波帯域の利用は国家が独占的に許認可をするものであり、まさに本来は国民の共有財産であるにもかかわらず、現実には電波利権となって既存のテレビ・ラジオ局に割り当てられる、つまり特定人に無償で与えられている。

放送局が参入規制を受けた、典型的な保護産業であることはいまさらいうまでもない。さらに、明らかに茶番なのは、デジタル放送などという放送規格を、国民レベルでみた経済合理性を完全に度外視してまで推し進めていることだ。これは費用がかさむばかりで、インターネットに比べればまったく無意味な程度の双方向通信性しかもたない。電波の有効な利用を考えれば、長期的に放棄されるべき規格であることはあまりにも明らかである。

EUでは2000年に電波枠の競売が行われ、約14兆円が国家歳入となった。

イギリスの通信電波枠もまたおよそ4兆円で落札された。

日本の経済規模を考えれば落札額は10兆円はくだらない。

その金額が現在の時点では、テレビ局やラジオ局、NTTドコモやKDDI、ボーダフォンといった既得権益を持つ会社に勤めている従業員、あるいはそれらの会社の株主の利益になっている。

実例として、テレビ局の職員の給与について考えてみよう。ライブドアとの確執で話題をまいたフジテレビにしても、楽天との統合問題にゆれたTBSにしても、たいへんな高給である。2004年の時点でフジテレビ職員は平均年齢39.8歳で平均年収は1529万円、TBSではこれが42.3歳で1429万円なのです。諸手当や年齢などを考慮すれば、その実態では年収2千万におよぶはことはごく普通のことだといわれている。

しかし、番組制作の多くが下請けのプロダクションに任されているというのが現実です。これを考えれば、テレビ局という組織は、つまり国家によって許可された電波の枠を切り売りしているだけである。それによって、庶民には信じられないほどの給料が既得権益として支払われている。

そもそも電波行政などと称して、技術センスも経済感覚もない中央官僚が電波帯域を割り当てるという仕組み自体が、現代のITの急速な進歩とそれに伴う企業化精神を圧殺している。

日本では、総務省による電波利権の配分が既存業者に偏りすぎているため、新規参入がほとんどみとめられていない。新規参入をより自由にすれば、香港のように1分1円、あるいはインドのように1分2円程度までは通信料金は低下するはず。

現在の日本の通話料金の高止まりは、世界的にみれば例外的に保護されている業界の体質の現れであり、まったく異常である。

政治のような強制的、非自発的な資源の徴収と配分は、自発的な契約に基づいた交換である経済活動よりも、つねに非効率的です。なぜなら本人たちが納得していないのに強制力を持って、資源を徴収するのですから、ひとびとにはそれを逃れようとする大きなインセンティブが働くからである。

散々言われていることであるが、一歩も前に進まない。