たとえば多指

たとえば六本指で生まれてくる子は結構いるもので、

早いうちにオペしちゃいます。

それはそれでいいんですが、実際、それは病気じゃないし、

先天性障害ともいえない。

先天性奇形とは言っても、

ただ六本あるだけで、医学的にはどうということもない。

早く死ぬわけでもない。奇形というべきか。

価値的にはニュートラルな変異だろう。

後天的に四本になった人だって

特に早く死ぬわけでもない。

こういう人たちは頭の中に変異がある。

奇形じゃない。

ではどうして六本はまずくて、五本にしてしまうのかといえば、

まあ、世の中がそう考えているからとしかいいようがない。

今のところあまりいいことはないけれど、

指を折って数えるとき、

12進法には有利かもしれない。

ダースで数える人たちの、神官とかそんな知的に高度な部分には

こういう人もいたかもしれない。

いやいや、それは12のたまのそろばんを使えばいいだけでは。

そうでもないでしょう、普段12本の指を使ってものを数えている人は、

2,3,4,6人でものを平等に分けるときにとても有利です。

たとえばどんぐりの実。

24まで増やせば、2,3,4,6,8,12ですから、

10本指よりも平等主義に近いわけです。

2,5のときには平等に分けられますが、

3、4、6、7、8全部喧嘩です。

ここから弱肉強食になります。

まさか。

こんなことは体の各部分で起こっている。

見えないところではたくさん。

たとえば、皮膚の白くて薄い部分で、静脈が透けて見える。

昔からこれを個人認証に使ったり、占いをしたり、

ある種の人はこれに性的に興奮したり、

いろいろしていた。

途中経過はいろいろでも、

最終的に、末端まで血液を届けて、それを心臓まで戻せばいいわけだ。

脳の中ではもっと多層的な変異が起こっているだろうと推定できる。

アウトプットも血液循環よりもずっと多彩だけれど、

内部過程はさらに多彩だと思われる。

そうだねえ、そういえば。

結果は同じだけれど、考えの途中はぜんぜんぢかうということもよくある。

別解というやつ。

つま先から血液を心臓まで戻すとして、どんな経路があるかということで、

いろいろある。

どこか途中を縛られていても、死なないもの。

多指というものも、奇形ではなくて、変異、

環境が異なれば、そのままでいいはずのもの、ということになる。

そう考えると、脳の場合に、病気というのは、

どう考えたらいいのか、ますます分からない。

神経伝達物質と、そのレセプターといっても、

結局連続して分布しているだけで、

どこからを病気というかは、恣意的なものになる。

ガンだったら、人間が分類してもしなくても、

死んでしまうから。それは病気だったと分かる。

だから人間の側は、それが死ぬ運命かどうかわかるように分類しないといけない。