リバタリアンは
自分と他人の政治的自由を最大限に許す。
自分と他人の経済的自由を最大限に許す。
自分の自由が侵害されたと感じたら、交渉する。
交渉がまとまらなければ、別の方法で何が正義か決着をつける。
他人の生存権と自分の経済的自由が矛盾したとき、まず交渉する。
交渉が進まないとき、または、拒否されているとき、
実質的に一時的に生存権は否定され、経済的自由は容認される。
それでいいという結論が出たわけではないが、
交渉が長引いているうちに死んでしまう。
結局、いま、ものを持っている人、権利を所有している人が強いことになる。
そこをつかまえて、強者の論理だと言う。
大リーガーと対決して負けたら、
ルールが悪いと政府に押しかけるのだろう。
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グローバリゼーションのの中で、
アメリカの上層部は、
リバタリアンという思想と、最強の軍事力とで、
全世界の開国を迫っている。
もちろん、最高の倫理力などではない。
尊敬もされない。
頭の働きの不完全なやつらに尊敬されようが軽蔑されようが
知ったことではない。
どっちでも同じことだ。
支配などしたくない。
経済的自由と政治的自由を行使するから、
文句をつけるなというだけだろう。
日本の生活保護者がどうなっても、それは国内の分配だから、適当に決めて欲しい。
郵便局が集めた貯金を、どう使うかについて、つべこべ言うな。
水道の水を飲まないバカが多いのはいいチャンスだ。
水道局も民営化してしまえ。
みんな自由でおあいこなんだ。
交渉はしよう。200年の伝統だ。
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9条の平和主義もいいし、
25条の生存権もいい。
でも、リバタリアンと強く交渉して、斥けるだけの強さを持った
平和主義と生存権でなければ、
消え去る運命にある。
冷酷な言い方だが、
強いものが生き残る。
弱いものは交渉を回避して、
貢物をして、子分になるしかない。
役に立つうちは生かしておいてもらえるだろう。
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何かといえば行政を訴えているのはなぜなのか?
行政がきちんとすれば、
世の中がうまく行くとでも思っているのか?
行政の中身を作っているのは、
そこら辺のおばちゃんとおじちゃんだ。
そんな揉め事に付き合っているうちに、本当の仕事を忘れてしまう。
100年後のことを考え、外国と交渉し、教育を進める。
それができていない。
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アメリカが操作して日本をだめにしたと言いたいらしいが、
いま犯人探しをして何になる?
国の金庫は空っぽなのだ。
食糧は空っぽなのだ。
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儒教や平和憲法でも
生存権や環境権でもいいが、
それは、金や石油や軍事力の裏付けなしで
自分で立っていられる代物なのか。
議論を始めても、
どうもあいつらは英語がわからないらしい、
そうでなければ頭がおかしい。
論理が通じないなんて、交渉にならない。
そう思われたらもうまともな話し合いもないだろう。
ただテレビに流す映像を作り、
新聞に流す言葉を作るだけだ。
外務省がいい加減なのは、
この国民にあきれているからだ。
防衛省が腐っているのも、
この国民と同じだけは腐ってもいいと決めているからだ。
役人に文句だけ言う、
金よこせと言う。
ないのは、国民が払っていないか、国民が使ったか、どちらかだ。
そのときいい思いしたはずでしょう?
アメリカを泥棒みたいに言うけれど、
売るといったのはそっちで、買うといったのがこっち、
それだけだ。
ピューリタンの末裔として、まじめに働いて、蓄えた。
それを守って何が悪い。
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ここにパンが一個ある。
それを「はしたなく」独り占めするリバタリアン。
「品格よろしく」さしあげるリベラル。
明日餓死しているのは誰だろう。