よく言われることだが、
キリスト教と資本主義は根が同じ、
社会主義や共産主義もキリスト教から出たもの。
民主主義も根源はキリスト教にあるといっていい。
さらに忘れてはいけないのは現代科学である。
カラマーゾフの異端審問官は、
自由はありがたいが重すぎてお前たちには使いきれない、
全部教会に任せるのがいいと、
現代の高級官僚か科学者または独立行政法人大学教官のようなことを言っている。
なぜなら、現在に至り優性な勢力が、キリスト教、資本主義、民主主義、科学であり、
当然関係は深いはずで、相関係数を計算すると、
偶然を遥かに超えて相関している。
リバタリアンも、家族と一緒に礼拝に参加して、ワインを飲んだりしている。
ワインとは言わないが。
イスラム教は実際、かなりきつくて、
ユダヤ教徒となれば、一生かけてもたどり着けるかどうか。
こんな人たちが、同根でありながら激しく憎悪しているので、
キリストから2000年、ムハンマドから1400年たっても、
平気で殺しう。
あるいは、悪いのはあいつらだといえば、団結が生まれる。
そんな中で、もみくちゃにされるのはもういやなんだけど。
科学であるが、
これはどう考えても、キリスト教の鏡の背面にへばりついたものに違いなく、
キリスト教そのものと言って間違いはない。
キリスト教と資本主義と、民主主義、科学をきちんと整理して、
「脱色」できないかと思う。
人類みんなが飲める、「真水」にする。
まあ、そんな風なことを言う新宗教もまた山ほどあって、
ますます水は濁る。
冷たい水というボサノバはキャッチーなタイトルだが、
濁った水は救いようがない。