お金持ちについて

格差がいわれていて、
事業で成功しているような人たちはますます金持ちになっているらしい。

昔からの資産で食べているだんなさんたちは
だんだん不利になるような感じだと思う。
貸しビルをたくさん持っていたりする人たち。

東京のような場所だとあの人は金持ちだなんていう目立つような人は
あまりいないと思う。
実際は金持ちは大変な暮しをしているのだと思うが、
彼らが存在する場所と、
わたしが存在する場所は全く違うので、
彼らの存在は目立たない。

牛丼屋と公立図書館にわたしがいても、
六本木ヒルズの住人と会うことはあまりないと思う。

これが地方都市に行くと、
金持ちのだんなさんは目立つ。
暇そうにそこらをぶらついているのが見えたりする。
商店街の会議でいろいろ活動したり、
あるいは選挙の後援会とか。

昔はそういった不労所得で暮らしていける人が羨ましかった。
別荘に行ったり、ヨットに乗ったりする生活は羨ましいものだ。
海外留学のこととか旅行のこととかを
聞かされるのも、憧れ半分で、あとの半分は反感のようなものだ。

しかし最近は、そのような階層の人たちも
ぜんぜん幸せではないのだとわかってみると、
半ば気の毒でもある。

貧乏であればこそ、
毎日働き、一か月分の給料をもらってうれしがり、
規則正しい生活ができるというものだ。
庶民並みの暮しの中でこそ、
新聞に書いてあることにも共感できる。
小説の味わいも石川啄木の味わいもわかるのである。
没落しないと太宰治も、とおもうが、そんなこともないだろうか。

政界の鳩山兄弟など、
すでになんでもできる大金持ちで、
何をしてもいいし、何をしなくてもいいのに、
政治にかかわっているのだから、本当に頭が下がる。
なかなかできないことだ。

若い頃は無論、社会の矛盾について考えたけれど、
それは正しいと今も思うけれど、
現状は現状で、これでもいいかと思っている。

わたしは結局働いていただろうし、
たとえば芸術家になろうとして時間を使ってもどうせものにならなかっただろう。
自分で働いた範囲で食べて生活してきたし、それは多分境遇が違っても、
変わらなかっただろうと思う。
そうならば、資産などは結局必要なかった。

むしろ、バイオリンやピアノや水泳を強制されなくてよかったと
思っているくらいだ。
親にあまり恩着せがましいことを言われなくてもすむ。

貧乏が原因でこつこつ働くしかなかったとしても、
こつこつ働くということは人生で最上の喜びだと最近は思えるのだから、
むしろ貧乏もよい面もあったのだろう。

このような感じ方自体が、貧乏の産物だと言えば言えないこともないのだが。

貧困があまりにひどくて自爆テロなどを起こしてしまうようではいけないので、
適正な範囲というものはある。

金持ちにも人情家はいるし、
貧乏人には考え違いをしている人も多いのだけれど、
概略を言えば、お金持ちとは交際しにくい。
多分、こちらの側の羨望が消えないので、
物事をひがんで悪くとってしまうのかもしれない。

金持ちに言わせれば、貧乏人のよくないところは、
ひがむところにあるらしい。