太陽が暖かいのは時代や文化によらない
何かの流行は時代と文化に依存する
うんちをくさいと思うのはウンチそのものの客観的性質ではない
しかしまた流行によらない
これは人間の脳がそのように指令していると考えられる
「臭い」と認識するのは、人間の側の事情である
化学としていえば
ウェルシュ菌などが産生する物質を知覚している
その物質をなぜくさいと思うか?
赤ちゃんのウンチはあまり臭くない
腸内にはビフィズス菌がたくさんいるからだといわれる
老人介護において大便のにおいが和らげば少しは介護しやすいといわれる
そこで腸内のビフィズス菌を増やすことも試みられた
著効はないようだ
この点だけを見ても
赤ん坊は嫌われない
老人は嫌われる
という自然の仕組みが透けて見えるような気がする
(いいもんじゃないけれど)
犬を散歩に連れてゆくと
マーキングをする
排泄物に含まれる化学物質を利用して
縄張りを主張している
そこで人間の場合も
便がくさいと感じられるのは
縄張り行動に役立つからではないかと
仮説を立ててみる
こう考えてみよう
古代である
ドングリの林がある (→イベリコ豚がいるにちがいない!)
ドングリがたくさん採れる日当たりのいい大木もあり
いまにも枯れそうな頼りない木もある
集団内のオスたちは何となく自分の場所を占有する
オスたちはその体力知力胆力により序列ができている
その序列に従ってドングリ林の中のいい場所をとる
そのように住み着いて
縄張りを見張ることになる
そこでマーキングである
なるべく広い場所を自分のものとして主張したいならば
なるべくくさい大便または尿を
なるべく遠くに
置くことが有効である
(変なことを書いていますね。耐えられない人はこのあたりで。この先もきれいなことではないです。)
普段ゴロゴロしている場所から
便意を感じた時に走り始めて
なるべく遠くまで行けること
これが大切である
下痢は不利である
便秘の方が有利である
なるべく遠くまで走る体力がないといけない
我慢強さがないといけない
家族がいるとして
その中で排便前に一番遠くまで走るものが
一家の家計にもっとも貢献していることになる
また
なるべくくさい便を確保するという点でも
便秘がちの方がよろしい
従って腸は長いほうがよろしい
そこで日本人の小腸大腸は長くなった
一家の中で一番くさいウンチをする者が
家計にもっとも貢献していることになる
こんな縄張り行動ができるのも
うんちはくさい、他人のうんちの臭さには勝てない
と思う共通認識があるからである
うんちを嫌悪しない人間がいれば
これは平気でそのあたりのドングリを集めてしまうだろう
(? だとすれば、淘汰の結果、ウンチを臭いと思わない人が増えるはずだな……。)
概略以上のような事情で
うんちはくさいのである
火の中に手を入れればやけどをする
これは脳の思いこみには関係しない
うんちはくさい
これは脳の思いこみである
どうしてそんな思いこみが共有されるに至ったものか
説明ができるだろうと思った次第である
こうした思いこみから解放されている人達も少なからず存在することも、
一種の思いこみであることを証明するだろう。