精神病院にいくと、
そこには日本の昔があり、昔の病気がある。
ドイツ精神医学から学び、
日本医学として発展してきた、
立派な学問と医療がある。
外来診療所には、
現代の日本がある。
昔の疾患構造があまり当てはまらない。
現代的病気がある。
性格も、症状も、きっかけも、経過も、治療も、昔と違う。
先輩方の意見では、
社会構造の変化が、個人の病像に影響を与えていて、
それは存在すると分かるのだが、
どのように抽出して定式化するか、
いまだ難しいという。
それは現在進行中であるからかもしれない。
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ある意見では、
クレペリン以前は、うつが精神障害の基本だった。
クレペリン教科書第5版で、
大幅にフランス精神医学の成果を取り入れ、
幻覚妄想を主体とする、スキゾフレニーが精神障害の基本になった。
フランスのdelire 妄想 研究は古くからの伝統で、
ピネル、エスキロール、バレーの慢性幻覚性精神病、
1891年ヴァランタン・マニヤンによる、最後はDemenzになる、慢性精神病、、
1896年、クレペリン第5版という流れになる。
梅毒による脳病である、進行麻痺が、
ペニシリンで治るようになったので、脳疾患のモデルになった。
原因、症状、経過、治療が、セットで解明された。
そのモデルによく適合するものではないかと想定されて、
スキゾフレニーが精神医学の中心におかれ、研究された。
てんかんは一時期、精神科から離れた感があったが、
最近は再び、脳の変性を扱うには大切な疾患として、研究が進められている。
昔でいう「ヒステリー」もまた、てんかんと並んで盛んに論じられたものだが、最近は論じられない。
これは精神分析学の変質と関連しているが、一方では、疾患単位の変化も影響している。
適応障害とか、PTSDとか、解離性障害とか、いろいろな疾患単位が作られている。
PTSDについては、大きな流行にもなったが、大きな反省もあった。
一時はスキゾフレニー中心になったものが、
最近は、うつ病、さらには躁うつ病が盛んに論じられる傾向にある。
そうした流れの背景にあるのは、やはりひとつには現代社会の変質であろう。
他方には、個人の内部の脆弱性の問題があるのであるが。
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現代社会の特質として、流動性・移動の大きさ、家族・家庭の機能不全があげられる。
「わたしは日本の社会になじめないし、日本の会社にはなおさら合わない、
アメリカの方が向いているが、競争の雰囲気がきつい、
パリに住んだときは安定していた」などというその人の場合、
「自分では自立した個人だと思っているのに、
生活能力がともなっていないのだ」と主治医はコメントしている。
この人の場合、アメリカで育ち、日本語も話し、ポーランドに一時住み、
受診当時日本で就職していた。
このような大きな環境変化をともなう生き方は、かつてはなかったことだ。
しかし現在、帰国子女という言葉が流通するように、
かなりの人間が、大きな環境変化を体験する時代になっている。
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昔、荻野恒一先生が、「故郷喪失の時代」という本の中で、
能登半島から、金沢という都会に出て、スキゾフレニーを発症する例をまとめて、
論じていた。
現在では、さらに極端なことがおこっているわけだ。
わたし個人の考えでは、
赤ん坊の一時期に、ドーパミンレベルのセッティングが行なわれるのだが、
成長して、そのセッティングと大幅に異なる環境におかれると、
環境適合不全になるのだと思う。
日本の田舎、東京、ニューヨークの順に、ドーパミンレベルは高くなると考えられ、
もともとのセッティングが高くない人、つまり、ドーパミン・レセプターの多い人は、
ドーパミン過剰で幻覚妄想を発症するだろう。
環境変化とスキゾフレニー発症については、
個人的にはそのように予想しているが、
うつ病や躁うつ病については、また別のモデルが必要である。
その場合に、うつ病や躁うつ病の診断にこだわらず、適応障害という考え方を広くとったほうが、
状況をうまく説明できるのかもしれない。
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もうひとつは、家族の崩壊である。
経済の単位であり、食の単位であり、教育の単位であった家庭であるが、
すべての点で、崩壊しつつある。
経済については、個人が個人で稼ぐ、または年金を手に入れる時代である。
食も、個別化が進行し、それには、冷蔵庫、保存食、スーパー、コンビニの影響が大きい。
教育も、家族が教育する部分が小さくなり、
教科学習はもちろん、生活習慣、社会習慣、食習慣など、
すべてを学校で教えてくれという傾向にある。
たしかに、子供社会の文化は変化も激しく、親も自信を持って教育できない面がある。
家族関係が対人関係の基本となり原点となるが、
それもまた怪しいものになりつつある。
個々の事例も、全般の傾向も、さんざん列挙されてきたが、
指摘に頷くのみで、
なにができるわけでもない。
なすすべなく、
家庭は崩壊しつつあり、
ほとんど最終局面を迎えている。
出産、育児はかろうじて家族の仕事であるが、
最近は代理出産が話題になっている。
育児も、一歳に満たないうちからの保育が開始され、
専門家の手に委ねられている。
夫婦の関係も、早々に父母の関係となり、
セックスはしなくなり、パパ、ママと呼び、共通の話題は子供のことしかなくなる。
単身赴任で暮らすことになっても、実質的に家族の誰も不自由はないし、
子供の精神性的発達にも支障はないとされている。
パパとママだから、子供が育ってしまうと、関係はない。
女から、別れて欲しいといわれ、財産分与に応じる例がいくつもある。
家をもらって、年金と、それを補助する財産があれば、
夫から離れたほうが年配女性はのびのびと人生を楽しむ子度できるかもしれないとの意見がある。
日本女性が、世界スポーツ界ですばらしい成績を上げているのは周知のとおりである。
日本人男性は、スポーツにはあまりむいていないのかもしれないと思われるのだが。
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しかしながら、先輩医師の意見によれば、
日本女性は、能力のある人ほど、苦しんでいるという。
男性は、昔からの社会の仕組みがあり、その中で、それなりの処遇がなされてきた。
不満もあるが、それを吸収する仕組みもいろいろとある。
しかし現代女性の場合、能力は男性に比較して勝り、しかし、報われず、
生きる場所を見つけられず、生きる意味を考え直してしまう。
そして生きる意味が見つからない。
スポーツその他で成功する女性は極めて一部である。
自分は昔流の生き方しかできないと信じている女性は、
それなりに、生きる道がある。
しかしその場合にも、「ただの主婦」では不足で、
何か生きる意味を見つけるようにプレッシャーがかかる。
今は、ある程度の活動をしていても、「それだけなの?」といわれてしまう。
あれもこれも、どうして実現しないのと、プレッシャーがかかる。
学生時代を男子学生よりも優秀と評価されて、
未来を夢見た女性たちは、非常に困難な現実にぶつかる。
日本の会社や社会は、優秀な女性を優秀な人間として処遇する仕組みになっていない。
そこで彼女たちは米国その他で、生きる場所を探すことがある。
成功する場合もあるが、うまく行かない場合もある。
日本でもアメリカでもだめとなると、
日本社会に合わないのではなく、
自分はどこにも生きる場所がないのではないかと絶望的になる。
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先輩の先生によれば、
「兼高かおる世界の旅」で有名な、兼高かおるさんが、
若い女性たちの理想であったという。
知性、教養、世界を歩く行動力、
ジャーナリスト、文化人。
しかしだれもがそうなれるわけではなく、
苦しむことになる。
そこに適応障害が発生する素地がある。
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いつも、あなたの個性は何ですか?
という問いに直面している。
昔はそんなことはなかった。
良妻賢母であればよかった。
あるいは、母と祖母と同じでよかった。
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母系家族の伝統というものがある。
夫というものは、限りなく薄い存在でいい。
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conduct disorderと言い、行為障害と呼ぶ。
素行障害とか行状障害という言葉も提案されている。
暴力や暴言、自傷、大食や拒食、食べ吐き、などで、
一般に他人に好かれるものではないから、
それをしなくてはいられないだけの理由がある。
嫌われても、それをやったほうが、利益が大きい。
利益が大きいから続けるのである。
何かの利益がある。
個人の内部にも、遺伝や性格の要因がある。
社会環境として、過剰な流動性、家庭の機能不全などの要因がある。
その条件の中で、利益があるから、
暴力も振るうし、自分の体を切るのである。
こころが荒れた人も、
コンビニに行って、あれこれがあり、おでんが煮えている匂いを嗅ぐと、
ほっとするのだそうだ。
わたしは全然ほっとしないで、
むしろ有害食品を検査したりするから、
一般的でない老人なのだろう。