〔連載〕続 アメリカ医療の光と影 第120回
緊急論考「小さな政府」が亡ぼす日本の医療(1)
李 啓充 医師/作家(在ボストン)
(2765号よりつづく)
ニューオーリンズの防災対策に欠けていたこと
昨年の本欄で,ハリケーン・カトリーナで孤立したニューオーリンズに踏みとどまって患者のケアに励んだがゆえに殺人罪に問われることになってしまった医師の話を紹介した。カトリーナは,ニューオーリンズ地域に限っても1000人を超える死者と2500億ドルに上る大被害をもたらしたが,ニューオーリンズが著しく嵐に弱い街であることは,カトリーナが襲う前から防災関係者の間では常識となっていた。
実際,2004年には仮想ハリケーン「パム」の襲来を想定,連邦政府・州・市関係者による,大規模な防災シミュレーションまで実施されていた。仮想ハリケーン「パム」の規模はカテゴリー3と,実際に襲来したカトリーナ(カテゴリー4)よりも小さい規模に設定されていたが,「パム」程度のハリケーンで堤防は決壊,市の大部分が洪水に覆われるとコンピュータ・シミュレーションは予言していたのである。
つまり,いつか嵐がくることも,嵐が来たらひとたまりもないであろうことも,いずれも「想定内」の事態であったのだが,ニューオーリンズの場合,防災体制が強化されることはついになかった。連邦政府にも,州政府にも,堤防の増強工事などにかかる莫大なコストを支出する気などさらさらなかったからだが,結果的に,為政者たちに防災対策の「緊急性」を実感するイマジネーションの能力が欠如していたことが致命傷となったのである。
日本の医療政策を防災対策にたとえると……
ニューオーリンズの場合は,嵐に備えて堤防を補強する準備を怠ったことが大被害につながったが,昨今の日本の医療政策を見ていると,大型の嵐が間違いなくやってくるのはわかりきっているというのに,「維持に金がかかるから」という理由で堤防を削ることに専念しているように見えてならない。世界史上前例のない超高齢化社会という「大嵐」が到来すれば,社会全体として医療サービスの必要が増大する「大雨」が降ることはわかりきっているのに,もともと先進諸国の中では最低の部類に属する医療費(=堤防)を削ることに専念しているのだから,とても正気の沙汰とは思えない。
大雨が降るとわかっているのに堤防を削れば洪水になることは避け得ないが,では洪水になったらどうしろと,医療費抑制論者は言っているのだろうか? 実は,彼らが抑制しようとしているのは,正確には医療費の中でも保険給付などの公的部分であるが,いざ病気になって医療費負担がのしかかるようになった(=浸水が始まった)場合は,個々人が自己責任で頑張れ(=バケツで水をかき出せ)と,言っているのである(換言すると,医療保険について「公を減らして民を増やせ」という主張は,「堤防を削るからバケツで頑張れ」と言っているのと変わらないのである)。
しかも,嵐の本体が来るのはまだこれからだというのに,すでに堤防決壊の兆しが見え始めているのだから,日本の医療の将来を考えると暗澹とせざるを得ない。以前からも言ってきたように,日本がこれまで安いコストで良質な医療を国民に提供することができた最大の理由は,医療者たちの義務感と過重労働が支えてきたからに他ならない。それが,過重労働に耐えてきた医療者たちに対し,医療費抑制に加えて,医師数抑制という「鞭」で打つアビュースを加え続けてきたのだから,医療者たちの志気が低下したのも不思議はない(その典型が巷間言うところの「立ち去り型サボタージュ」である)。さらに昨今メディアをにぎわしている救急患者・妊産婦の受け入れ「不能」問題に端的に象徴されているように,日本の医療は,ついにアクセスに障害を生じるところまで追い込まれてしまったのである(受け入れ「拒否」と報じるメディアもあるようだが,医療側がどんなに受け入れたくとも患者を受け入れることが「できない」のだから,「拒否」という言葉は不適切であろう)。
迷妄な観念
大嵐が来ることはわかっているうえに,堤防が決壊し始めている兆候さえあるというのに,なぜ為政者たちが堤防削りに専念するのかというと,その最大の原因は,「日本は小さな政府で行くのだ」という迷妄な観念にとらわれた人々が,医療も含めた社会保障費の抑制を続けてきたことにある。彼らは,日本は「国民負担率」(国民所得の中で租税と社会保険料が占める割合)を5割以内に抑えなければならないと主張し続けてきたが,実は,先進国の間では国民負担率が5割を超える国がほとんどであり,「大きな政府」で国家を運営することがノームとなっている。国民負担率が4割を切る「小さな政府」でやっているのは日本以外では米国やスイスくらいしかないのだが,彼らは,いったいなぜ国家の形態として「大きな政府」ではなく「小さな政府」を選ばなければならないのか,その納得できる理由も提示しないまま,医療費が増え続けると国が亡びてしまうという,根拠のない「医療費亡国論」を前面に押し立てて,医療費抑制に励んできたのである。
私から言わせれば,超高齢化社会の到来を目前として公的医療費を抑制することほど国を亡ぼす早道はないと思うのだが,「小さな政府」を主張する人々には,その恐ろしさを実感するイマジネーションの能力が欠如しているとしか思えない。嵐が来てから悔やんでも手遅れであることは,カトリーナの例を挙げるまでもないのだが……。
〔連載〕続 アメリカ医療の光と影 第121回
緊急論考「小さな政府」が亡ぼす日本の医療(2)
李 啓充 医師/作家(在ボストン)
(2767号よりつづく)
「National Burden Rate」?
医療費も含めて日本で社会保障の財源が論じられる際,「国民負担率」(国民所得に占める租税と社会保険料の割合)なる数字が議論の出発点となることが最近の流行りとなっているようである。しかし,ここで私が読者の注意を喚起したいのは,この「国民負担率」なる言葉,日本以外では一切使われていない事実である。たとえば,私は,米国で暮らすようになって20年近くになるが,当地で,「国民負担率」に相当する言葉が社会保障制度を巡る議論に使われるのを聞いたためしがない。
聞いたためしがなかっただけに,ずっと,「国民負担率」は英語で何というのか知らなかったのだが,「National Burden Rate」と訳すのだと知ったときには,あまりに滑稽で,恥ずかしさすら覚えるような訳だったので,つい,吹き出してしまった。逐語訳の和製英語であることは間違いなかったし,「National Burden Rate」と聞いて「国民所得に占める租税と社会保険料の割合」という元の意味を連想することができる米国人など一人もいないことは容易に想像できたからである(実際,当地の米国人たちに「National Burden Rateと聞いてどんな意味を考えるか?」と聞いたところ,返ってきた答えで一番多かったのは「障害者や失業者など,国家の重荷となる人々が人口に占める割合か?」というものだった)。
さらに,「National Burden Rate」をグーグルで検索すると,このフレーズが登場するのは,ほぼ例外なく日本から発進された情報を扱うサイト(たとえば,日本で発行されている英字新聞)のみであり,日本以外の国では使われない言葉であることは,サイバースペースでの使用現況を見ただけでも明らかなのである。
misleadingな語感
いったい,誰が,何を意図して,他の国では一切使われることのない「National Burden Rate」なる珍妙な概念を発明したかはさておくとして,日本で社会保障の財源を論じるに当たって「国民負担率」なる概念が議論の出発点となることの最大の問題点は,この言葉が,国民に対し,事実とはかけ離れた誤解や,必要のない恐怖心をかきたてる,misleadingな語感を内包していることにある。
たとえば,図に,主要先進国の国民負担率を示したが,この図を見た途端に,「フランスやスウェーデンでは,給与の6割,7割を税や保険料で天引きされるのだから大変だ」と,事実とは大きくかけ離れた思い込みを抱く人が多いのも,「国民負担率」という言葉が,「個々の『国民』が実際に『負担』するお金の『率』」という,misleadingなイメージを醸し出すからに他ならない。
前回も述べたように,先進国のほとんどが,国民負担率が5割を超える「大きな政府」を運営している事実があるにもかかわらず,日本で,多くの人が,「大きな政府を運営する国」=「国民が重税に喘ぐ国」という誤った先入観を抱くようになったのは,「国民負担率」なるmisleadingな語感を有する言葉を意図的に流行らせた人たちがいたせいだったと言っても言い過ぎではない。換言すると,「国民負担率」という言葉は,日本の社会保障論議を誤った方向に導くことで,「小さな政府を運営する国」=「国民の負担が小さないい国」という,迷妄な固定観念を蔓延させることに威力を発揮してきたのだが,この「小さな政府=善」とする議論の延長線上で医療費(特に公的給付)も抑制され続け,いま,日本の医療が崩壊の危機に瀕する事態を招いたのだから,この言葉を流行らせた人たちの罪は大きい。
実は,国民負担率は,その語感とは裏腹に,国民の負担の実際を正確に反映する指標とはなりえない。国民負担率の数字が,国民負担の実際と大きく乖離しうることは,国民負担率31.9%と,日本(39.7%)以上に小さな政府を運営している米国で,国民の負担が日本よりもはるかに重い事実を見ればそれだけで明らかなのだが,次回は「国民負担率が大きくなると個々の国民の負担も重くなる」とする議論が詭弁であることを,国民負担の実際を日米で比較することで検証する。
〔連載〕続 アメリカ医療の光と影 第122回
緊急論考「小さな政府」が亡ぼす日本の医療(3)
李 啓充 医師/作家(在ボストン)
(2769号よりつづく)
前回,国民負担率という言葉はmisleadingであると書いたが,その語感とは裏腹に,国民負担の実際を現さない数字であることを,国民負担率31.9%と,日本(39.7%)よりも「小さな政府」で国家を運営している米国の実情を見ることで説明しよう。
「中流」モデル世帯で日米を比較すると……
ここで,租税・年金保険料・医療保険料について,実際にどれだけの額を負担しなければならないのかを日米で比較するために,「自営業者,課税収入700万円,世帯主年齢50歳,4人家族」という「中流」モデル世帯を考える。結果を表に示したが(金額は1年分の納入額,1万円未満は四捨五入,1ドル=106円で換算),所得税は,日本の97万円に対し,米国の連邦所得税99万円と,非常に似通った数字となる。次に,住民税だが,厳密にいうと,米国には日本の住民税に相当する税は存在しない。そこで,「所得を基に算定される地方税」ということで州税(ここでは私が住むマサチューセッツ州)をあてはめるが,日本の住民税70万円に対し,マサチューセッツ州の州税は37万円となる。さらに,年金であるが,日本の国民年金保険料17万円に対し,アメリカの場合,自営業者には「自営業者税」115万円が課税される(課税収入の15.3%。日本では年金「保険料」であるが,米国ではsocial security taxの名が示すとおり,年金「税」として徴収されるので,納入しない場合は「脱税」となる。日本と違って,加入漏れとか納入漏れとかいった類の「間の抜けた」現象は起こりえないのである。なお,自営業者税の内訳は年金税12.4%,高齢者医療保険税2.9%となっている)。
日本 | 米国 | |
所得税 住民税(州税) 国民年金 医療保険 |
97万円 70万円 17万円 62万円 |
99万円 37万円 115万円 242万円 |
総計 | 246万円 | 493万円 |
最後に医療保険料だが,この「中流」モデル世帯の場合,日本では国保と介護保険を合わせて上限額62万円を納入することとなる。これに対し,米国では,無保険者になりたくなかったら,民間の医療保険に個人で加入しなければならない。保険料は,保険の種類,居住地,保険会社の別などで大きく異なるが,マサチューセッツ州最大手の保険会社ブルークロス・ブルーシールド社が運営する保険の中から,日本の国保にいちばん近いタイプの保険(註1)に加入した場合,年間保険料は,242万円となり,日本の4倍近くとなる。というわけで,この「中流」モデル世帯の場合,租税および年金・医療保険料負担の総計は,日本の246万円に対し,米国は493万円と,日本のほぼ倍となっている。米国の国民負担率は日本より低いのに,租税・保険料などの実際の国民負担は日本よりもはるかに重く,国民負担「率」の数字が示すところとは正反対となっているのである。
本末転倒の主張
なぜ,このような乖離が起こるかというと,それは国民負担率なる指標が「公」の負担だけを算定して得られる数字だからである。「小さな政府」がよいとする人々は,医療保険についても「『公』を減らして『民』を増やせ」と主張しているが,その通りにした場合,確かに「国民負担率」の数字は小さくなるが,民の負担が増えた分,実際の国民負担は増えるのであり,「国民負担『率』を下げた分,国民の負担が減る」などと勘違いしてはならないのである。それどころか,「民」の医療保険は「公」よりも高くつく特性を有している(註2)ので,米国の実情からも明らかなように,「『公』を減らして『民』を増やす」政策は,実は,国民の医療費負担を逆に重くする政策にほかならない。
「国民負担率を小さい数字にとどめるために医療費の公的給付も抑制しなければならない」という本末転倒の主張に対しては,「国民負担『率』を減らす行為は実際の国民負担を重くする行為である」という真理を突きつけることで対抗しなければならないのである。
(この項つづく)
註1:同社は個人加入向けに保険料(月額)が965ドルから2509ドルまで26種類の保険商品を用意しているが,保険料は(1)患者の受療行動に強い制限を伴うHMOか,それとも制限が比較的緩やかなPPOか,(2)デダクティブル(保険給付が開始される前に一定額を全額自己負担する仕組み)があるかどうか,(3)自己負担額の割合がどれだけであるか,などで変わってくる。表では,日本の国保にできるだけ近いタイプの保険という基準から「PPO型,家族全体のデダクティブル1000ドル,自己負担2割」の保険の保険料を示した。
註2:加入者から徴収した保険料のうち実際の医療に支出されるコストの割合は「医療損失(medical loss)」と呼ばれるが,営利の保険会社の場合,医療損失が高い数字となると「経営が下手」と株価が下がってしまうので,株主の利益を守るためには,できるだけ医療に金を支出しないという経営をすることが経営者の責任となる。現在,営利の保険会社の医療損失の平均は81といわれているが,これに対し,メディケア(高齢者用公的医療保険)の医療損失は98である。言い換えると,公の保険では納入した保険料(税)100のうち98が患者に実際の医療サービスとして還元されているが,民の保険では81しか還元されず,利用者にとって非常に「高くつく」ものとなっている。