書評の世界はうちわぼめ、かつ、資本主義、
かつ、縦社会、かつ、なれあい。
一度目に触れたら、そのいい加減さに嫌悪する。
二度目に触れたら、この既得権益を手放したくないと思う。
そんな世界だ。
何気ない紙面は、出版社同士の義理と人情と資本主義の現場である。
もっともっと透明な才能開発システムができていてもいいはずなのに、
そこにあるのは、「透明な機能」ではなく、「不透明な権力」なのである。
日本的狭隘情実主義があり、
容易に、誰と誰の個人的な関係を指摘することができ、
それが文壇通というものであった。
最近でも、困ったことにボスはまだまだ健在で、老害もはなはだしいと感じられる。
お前ら、文学者の癖に、
サラリーマンみたいにつるんでるのかよと失望する。
老人が裏にいて、若い女を商品にする点では、AV界とかわりがない。
新刊の書評は要らないから、
古典の書評で、書評のコンテストを開いてもらいたい。
誰がだめな書評者か、一発でわかるだろう。