AV産業について

わたしは女性としての性欲がたしかにあると感じるが、
AVで撮影されているようにして欲しいとは感じていない。

考えてみれば、
8丁目では、男と女が駆け引きをしている。
女も愛情が欲しかったりお金が欲しかったりして、自分で動いている。

AVは男が女に何かをして、男がそれを見るという図式のようで、
つまり、男から男へのメッセージになっている。

AVで映し出されているのは、
外側から見えるものだけで、
体温もない。
何か過剰で、何か欠落している。

8丁目でも、舞台をプロデュースするのは男性である場合も多い。
その装置は、男性から男性へのメッセージになっているのだろう。

男同士で物語を作って回し読みしているようで、
得体の知れないものだ。

男同士で盛り上がっている、
という感じ。

そのような欲望の対象としての女を演じれば、
人気者になる。

長い時間の後にはそのような女がセレクトされてゆくはずだ。
しかしそこにはもうひとつ裏がある。

男の欲望にぴったりのように見せかけて、
実は別の利益を得ている女たちがいる。
擬態というべきか。

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男の性欲と女の性欲について、
あいるは、男の欲望と女の欲望について、
あるいはそのように区分けせず、
個人の欲望のあり方の違いについて、
考えてみると、
何か微妙に求めるものはずれていて、
しかし、結果として、まあまあ、いいような具合になっているようだ。

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しかしながら話はそれでとどまらず、
男と女は進化論的に言えば、共進化しているのだ。

お互いが微妙に選択しあっている。
結果として、長い時間の後には、一致した欲望にたどり着くはずである。

花とミツバチは、それぞれが影響し合って、
選択しあって、共進化している。

都合のいい花と都合のいいミツバチがどんどん選択されてゆく。

母親の乳首と
赤ん坊の唇は、
共進化の結果である。
独立して進化しても、特にいいことはないはずだ。

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