人生で何度目の春だろう
そしてあと何度春を迎えるだろう
今年は東京で春を迎えた
日比谷公園と愛宕山と増上寺と東京タワーのあたりで桜の下に立ち見上げた
春だから資生堂パーラーに行った
空が青かった
パーラーの深みのある赤紫が好きだ
昨日は品川、三田、浜松町、新橋と、
役所、銀行、事務所などを回った。
港区を南から北に移動したことになる。
同じ苗字の文人の名前を出され、
親戚かと聞かれた。
あまり好きな人ではないので、
関係ないと答えている。
お世辞で言っているのだから、
ニコニコしていればいいのだけれど。
この頃思うが
日本式企業もそろそろ終わりなのだろうか
時代を俯瞰して見て、
明治大正の富国強兵から戦争、敗戦後の混乱と高度経済成長、そしてバブル、現在。
今我々が生きている社会の変動は、
景気の微調整なのではなく、
社会の本質の変化なのだとの論を読んだ。
なるほどそうかもしれない。
港区の企業でも、
いくつかの企業が人材を出し合って、プロジェクトを実行し、終了すれば解散、
そのあとまた別のプロジェクトに、別の人材の組み合わせであたる、そんな話も多くなった。
だから上司はプロジェクトごとの上司になる。
同僚も同じ。
人に恵まれないといつまでも嘆いていなくていいようになった。
そのかわり、いつも比較され、アウトプットを要求される。
雇用の流動化が言われるようになったが、
こうなってくると、企業を移動する必要もないくらいで、
自分がどれだけの内部蓄積を持っているかにかかってくる。
またたとえば、携帯を作る人たちは、企業間や子会社間を渡り歩いている。
独立の侍のようだ。フリーエージェントと言うべきか。
医者や会計士、弁護士なども独立性が高くなっている。
組織を看板にして動くより、個人の能力が評価される。
昔は、「俺も、伊藤忠の看板を背負ってるんだ、ただでは済まさない」と啖呵を切ることができた。
いまはただ自分を背負う。
銀行は合併を繰り返していて後遺症を引きずっている。
年配の人はある程度昔の会社の遺伝子を誇りにしている。
コンピュータソフトの保守をする人たちは、
普通の会社の営業のない時間に呼び出されて、
月曜朝8時までに決着をつけるように要求される。
しかもいじるソフトは自分のつくったものではない。
そしていまだけ切り抜ければあとは知らない。
誰かが苦労すればいい。
聞いていると途方もない無駄のように思われるが、
一人の人間にソフトを任せると危険なものらしい。
一つの会社になじみ、人脈を張り巡らし、時間をかけて成果を獲得したものだ。
若い時代の苦労を歳を取ってから収穫するのが常だった。
いまはそんな時代ではないようで、
それは一部の先端産業だけではなく、徐々に拡大するのかもしれない。
古いものの代表のように言われる役所も、
ずいぶん変わってきた。
コンピュータの影響が大きい。
また、会計の標準化なども影響しているように思う。
突然派遣さんに任せても、何とかできてしまう。
その分、雇用供給が減少しているように思うがどうだろう。
回転しているので見かけの求人はあるが、
またすぐに解雇になり新人が雇用される。
新しい人はコンピュータになじんでいるし、
標準化された仕事は手早くこなす。
人脈もコネもいらない。
新しいアイディアで勝負している若い人たちも少なくない。
ベンチャー企業への投資は結構盛んで、
投資している側は、100個のうち1個でもホームランになってくれればいいということらしい。
江戸幕府、明治政府、繊維工場、鉄鋼業、IT産業。
次が見えないといわれ続けて、10年が過ぎた。
新しい社会を経験している人たちが新しい精神の悩みを抱えていると感じる。
また、女性の悩みは次第に深くなっているように思う。
この社会は有能な女性を生かしきれていないと思う。
女性は息苦しく感じている。
脳は女性のほうがいい部分がある。
源氏物語も、枕草子も、和歌の多くも、女性の脳の産物だ。
男性は筋肉で優位だっただけなので、
現代にはあまり優位さがない。
筋肉にしても、持久筋は女性が優れていることも多く、
男性の瞬発筋は喧嘩のときくらいしか役に立たない。
いまどきは本当の喧嘩は筋肉でするものではないから、
いよいよ男性の立場も困ったものになる。
女性は男性を憧れなくなる。頼りにしてもいない。
男性は女性に劣等感を抱く。敵意を抱く。
そして習慣を盾にして、女性を適性に処遇しない。
また実際に、妊娠出産子育ての問題はある。
女性にしても、自分と同じくらいにわがままな子供が出現するので、
お手上げである。
どうすればこの連立方程式が解けるのか分からない。
ネクタイをしていて、ときどき変なものだと思う。
ちょんまげみたいだと思う。
そのくらい、時代は変わるだろう。