死刑を着々と執行している現法務大臣が
弁護士の数が増えすぎても、質を確保できないなどといっている。
でたらめもいい加減にして欲しい。
現状でも、弁護士の質は悪い。
質を良くするために、数を増やすのである。
弁護士の数を増やして、
せめて、まともな志を持った人「も」弁護士になれるようにして欲しい。
周りを見渡してみて、司法試験に受かった人と受からないでいる人の差は
決定的な能力の差とも思えない。
実務をやっていれば、差はない程度だろう。
裁判に10年も出続けていれば、まともな法律家になるだろう。
実務を事務員に丸投げしている法律家もたくさんいる。
最後のはんこを押すだけだ。
実際、法律オタクな人はいて、法律論にはやたらに詳しい非法律家もいくらもいる。
実際の弁護士との差は、つまりはどこの建物に誰がいてどんなことをやっているか、
現実を知っている人と、抽象的に法律を考えている人との差でしかないように思う。
そんなことより、志の問題なのだ。
数を増やせば、志の高い人も比例して増えるだろうということだ。
実務が充分にできる、心根のいい人を増やしてなぜ悪いのか。
あの現法務大臣が増やさないと言っているのだから、多分、その逆が正しいのだろう。
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そもそもの始まりには、
役人による事前規制か、
法律家による事後規制かという論点があったと思う。
役人の許認可権を減らして、自由競争を増やして、
まずいことがあったら、事後的に法的に処理すればいいので、
あるいは各自が法的に備えればいいので、
そのために法律家を増やした方がいいという事だったはずだ。
役人にならずに法律家になればいいだけだから、
なにも支障はない。
弁護士増を阻止したいのは、
現在の役人で既得権を手放したくないから抵抗している人だけという意見があり、
一理あると感じる。
役人か弁護士かの綱引きで、
役人が息を吹き返しつつあるということ。
良い弁護士が増えれば、自殺も減る。
学校のいじめの問題も、
会社のいじめの問題も、
チベットと同じ人権問題なのであって、
カウンセラーが本人の気持ちを聞いていて解決するものでもない部分がある。
チベットにカウンセラーを派遣しろとは言わないだろう。
どうして学校にはカウンセラーなのか、あきれる。