健常者と性格障害者が二人だけで孤島にいたらどうなるか
というのは、
要するに、多くの人の多数決で、何が健常か決められないときに、
どうなるんだろう、という問題
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多分、反省するタイプの健常者と、反省しないタイプの性格障害者の組み合わせだと、
後者の圧倒的勝利で、
生きていけないほど傷つきのが前者かと思いますが、
意外と強いものなんでしょうか。
夫婦だけしか知らない問題とか、親子のこととか、
世の中には、二人しか知らない事情というものもあり、
その場合に、周囲の人は、どちらの言葉に影響されるか。
どの範囲で多数決をするかにもよる。
事実と、言葉の力は、別という場合も多い。
いろいろな裁判の話を吟味してみると、
事実というものがだんだんぼやけていくのが言葉の力だとも思う。
多数決ではなく論理の力というのが
ひとつの考え方だけれど、
土台論理を無視する人が相手なら通じない。
論理といっても、イスラム的論理があったり。
裁判所的論理があったり。
それを逆用して局所的論理をもてあそんだり。
多数決はヒステリックになるし問題もあるが結局のところそれしかないのだろうとも思う。
裁判制度を変えるのはそんなところの影響もあるように思う。