音楽著作権の問題

CD屋さんに行ったら、
著作権を守って、音楽文化を守ろうというような札が張ってあった。

果たしてそうなのだろうか

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話の前提として、やはり無制限にコピーされてしまうのは
困るだろう
図書館に一枚あればいくらでもコピーできて、
友人が一枚持っていれば全員がコピーできて、
というのはかわいそう過ぎる話だ。

売れるようになるまで時間がかかることも分かる。
ウタダヒカルのように才能が溢れていれば、
特にごちゃごちゃいわないだろうが、
みんな生活がかかっている。
一回のアイディアをいつまでも使いまわししたいというのも
分からないでもない。

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そんな当然の話は前提として、
もちろん、音楽で生活していくのは大変だと思うのだが
でも、音楽では生活していけない文化もあってもいいと思う
と発想の転換もある

なにもアメリカの金持ちを儲けさせる必要はないと思うのだが

著作権の設定が必要なことも分かる
かなりの訓練をして
それでも食べていけない人が多い世界だ
第一、芸大のバイオリンを出て、NHKホールで演歌の伴奏をしているとしたら
泣きたくなるだろう

オケの一部はパートさんで、
あちこちのオケに人数合わせで出演している。

CDは
ものすごく作りこんでいることも分かる
一回作ったらしばらく生活して行きたいと思うのも無理はない

作曲のインスピレーションが常時湧くわけもないから、
盗作疑惑も起こり、非合法薬剤の問題も起こる

でも、世の中を見渡して見て、
一回頑張ったからしばらく食べていけるなんていう世界が他にどれだけあるだろうか?

大工さんがとても苦労したからといっても、一回作ればそれきりだ。
建築家は芸術品使用料をとるわけではない。
作家も著作権料だけで食べていける専業の人は少ない
雑誌原稿などを書いて一回いくらで切り売りして暮らしている
あるいは大学の教員として給料をもらっている

音楽家はコンサートができるのだから
まだ有利ではないだろうか
季節の話題を取り込んだり、
時事問題を取り込んだりして、
コンサートをすればいいのだろう
さだまさしの語り口など実に名人である
いくらでも稼げるだろう

それをCDの使用料とかで機械や放送局からお金を取ろうというのはどうなのだろう
むしろ、機械や放送局があるから存在できるわけで
場所代を払ってもいいくらいではないか

美術の人たちは画廊にお金を払っている
美術館が買い上げるとしても一回支払いがあればそれで終りだ
だから版画やリトグラフなどをつくる

iPodに課金するとして、
そのお金を誰がどのように分けるのか、
その権限の源泉は何なのか
とても疑問だ

今は電子楽器を使う人も増えてきて
すごいCDを焼いて自分で売って歩いている人もいる
確かに才能があると思うが偶然にメジャーにならないだけの人たちだ

それは音楽業界の支配層がいるからだ
いっそのこと著作権料システムなどを壊して
全部いわば「平地」にして
そこからはじめればいいのだ

井上陽水は多分文句は言わないだろう

著作権をなくしたら音楽文化が貧しくなるとは思わない
好きで音楽を作る人がいくらでもいるだろう
金もうけがしたくて音楽を作る人よりも妥協がないかもしれない
売れなくてもいいのだから
締め切りもないのだから

ひょっとしたら著作権切れの
モーツァルトとバッハだけになってしまうかもしれないが
私はそれでもかまわない

文学でも、古典と僧籍も鷗外、太宰、芥川くらいで
何の不自由もない
青空文庫だけで充分だ
青空文庫の翻訳版もある「プロジェクト杉田玄白」という
Project Gutenbergというページもある

翻訳も、著作権切れのものだけで充分と割り切る人も多いかもしれない

MSとLinuxの対比でも分かるように、
著作権を保護してと言っているのはMS的人びとなのだ

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以上、偏った暴論であるが
いかがだろうか?

実際、音の並び方が無限にあるわけはなくて、
長くすれば似ていなくなるし短くすれば似てくる
アレンジを変えれば似ていないようにもできる
「似ている」とは何かの定義の問題になってくる

ビートルズとクィーンを「創造的に」結合したとして、
どれだけの範囲で認められるか?
完全に合理的な理屈があるとも思わない。
何がマネで何が独創なのか、どのようにして決められるのか?

そんなおかしな世界ですれすれの人生を送るより、
本業は何か持っていて、
余裕の趣味で音楽を作ればそれでいいと思う

昔は筆がうまいというのが商売になったけれど、
今では廃れている
電子メールができるのだから郵便配達は少なくてもいい道理だ

似たようなものだ
技術の進歩がある商売を消滅させることもある

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話は違うが、私は生演奏があまり好きではない
おおむね、録音のほうができがいい
チェロのマイスキーなども、
平気で手抜きをしているように、素人には思える
即興的な手法なのだからそこを楽しむようにといわれると思うが
私はそんなものは好きではない

そんな意味で、音楽家は困っているのだと思う
しかし多分、教会音楽家も宮廷音楽家も、
もういらなくなってしまったのだ。
極めて少数の人たちが何か音源を作ればそれですむ。
みんな農業に切り替えたらいいと思う。
鼻歌を歌いながらメロディを極めて欲しい。

音大と美大のさも縮まるだろう
それでいいのではないか?