分子進化の中立説 「どーでもいい進化」論

「毒にも薬にもならない突然変異は、顕著な形質の変化よりも急速に定着する」

伊東 乾氏による説明。
分かりやすくて秀逸。

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 「分子進化」という言葉があります。チャールズ・ダーウィン(1809-1882)がビーグル号に乗って世界を回り、進化論を提唱(「種の起源」1859)した当初は、言うまでもありませんが、遺伝子の本体が何であるかは知られていませんでした。1953年、ワトソンとクリックによるDNA(デオキシリボ核酸)の二重らせん構造の解明以後、「分子生物学」が成立して、私たちは進化の物質過程を追えるようになったわけです。

 ダーウィン進化論では、突然変異の結果生まれた個体は、環境に適応していれば生き残り(適者生存)、弱いものは死滅するという「自然淘汰」が、進化を支配していると考えられました(自然選択説)。進化論は19世紀の西欧世界に広範な影響を与え、社会科学にも様々な適用が試みられます。スペンサーの社会進化論はもとより、カール・マルクス(1818-1883)の史的唯物論も、資本主義社会は社会主義社会へと定向的に進化するという議論として、ダーウィンのお膝元ロンドンで書かれた側面があるとのことでした。

 キリンの首が長いのは、高いところにある葉っぱが食べたいな、と思っていたら、首がスルスルと伸びたわけではなく、偶然の突然変異によって首の長い個体が発生し、彼らが環境に適応したから「適者生存」して、それ以外が「自然淘汰」された。乱暴に言えばダーウィンのモデルはそういうことになる。分子生物学が発見されてからは「首を伸ばす」という遺伝情報がDNAに書き込まれた個体が環境適応して残った、と考えられるようになりました。

「どーでもいい進化」論

 

 一方、分子側の都合から考えると、状況はかなり異なってきます。遺伝情報を書き込まれたDNAはコピーの段階でしばしば「書き損じ」が発生します。これが突然変異にほかなりませんが、キリンの首を伸ばすといった顕著な書き損じばかりが起きるわけではない。むしろ、毒にも薬にもならない「どーでもいい突然変異」のほうが(熱統計力学的に考えれば当然ながら)圧倒的に多いはずです。この「どーでもいい進化」を正確に考えたのが、木村資生博士(1924-1994)の「分子進化の中立説」(1968)でした。

 首が伸びるとか、あるいは足が長くなるといった、顕著な変化が見られる突然変異は、個体の生命に大きな影響を及ぼしますから、適者が生存したり不適者が死滅したりする。ところが「どーでもいい進化」は、生命に別状がありませんから、結果的に「顕著な進化」よりも著しく急速に蓄積されることになる。物理や化学の観点から考えれば当たり前の「統計性」「偶然性」の支配を主張した木村の「分子進化の中立説」は、ダーウィンの自然選択説と対立するものとして、当初は国際的に大きな議論を呼びました。しかし、具体的な測定の結果、正当性が認められて現在は定説となっています(木村はこの業績によって、彼が否定したダーウィンの名を冠する「ダーウィン・メダル」を授与されました)。

 そこで、スペンサーやマルクスではないですが、この「中立説」を社会現象に当てはめて考えてみると、幾つか面白い事実に焦点を当てることができるように思うのです。

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二重らせん構造の解明以来、生命観は変わったといえる。
自意識についてもたぶん同じことが起こるだろう。

中立説については簡潔で分かりやすい解説があまりないと思うが、
このように表現すれば分かりやすいのだという参考例。

生存利益に中立な変異は、淘汰にさらされず、生き残るわけだ。
そしてそのような中立変化が蓄積して、とんでもないこともいつかは起こりそうだ。