現代の祝祭性

現代生活からなくなったものは
一つは祝祭性だと思う
一つは呪術性だと思う

呪術性は矮小化して
占いのサービスとか
小さな施療院での会話
またはヨーガの教室などで
保存されているだけだろう。

無論呪術が前面に出てくる社会など
ろくなものではない

しかし呪術性という通路の向こうに
人間は広い空間を確保していた
芸術も宗教も人間自身の不思議に目覚めることも
呪術性の先にあった

ソフトにいえば祈りの延長にあるということになる

それらは不合理なものであり
科学的思考や合理的制度に
置換されるべきだ

しかしその場合に
祝祭や呪術や祈りがもっていた
治療の側面が捨てられてしまう

代わりの治療をわれわれは持ち得ているか?
多分、まだ未発達である。

現在ある多くの民間治療は
幾分かでも呪術の要素がある
科学的に検証できない治療効果に頼っている部分がある
あるいは施療者が無自覚のうちに
呪術的になり言葉でコントロールしている場合がある
思わぬところで原始的な関係が成立しているようだ

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