コージーコーナーのケーキを食べながら
ニュースを見ていたら
スポーツの時間にになり、
野球で、「甘いボール」を打ったと伝えられていた。
甘いボールって何だろうと思い、
反対は、渋いボール、でもない、
厳しいボールくらいだろうか。
態度や指導が、甘い、厳しいとはいうので、その流用なのだろうが、
そもそも「甘い」は味覚の用語である。
ならば、辛いボールやしょっぱいボールや渋いボールや苦いボールが連想できてもいいはずであるが、
その連想は働かない。
言語習慣は、味覚に引きずられないようだ。
甘いと厳しいが対になっているのもおもしろい。
厳しい・きついとゆるいが対応するのだろうか。
ねじが甘くなる
甘やかす
というのは当然味覚の「甘い」が元だろうが、
ねじがゆるくなるのがどうして甘いのだろうか。
ピントが甘い
女性に甘い
見通しが甘い
人生を甘く見る
敵を甘く見る
甘いボール
脇が甘い
監視が甘い
注意が甘い
このあたりに納得できないものがある。
整合性に欠ける。
多分、甘いにもうひとつくらい意味の系統がありそうだ。
比喩的にではなしに、「ゆるい」を意味するのではないか。
日本語を学ぶAさんはきっとこのあたりにも気付いて、
日本人を責めるのだ。
確かに、ドイツ語などはもう少し合理的整合的なような気がする。
英語はかなりいい加減なような気がする。
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というわけで、ケーキを食べていた。
クイーンアリスのキャンドルよりも
コージーコーナーがおいしいと思うのは
単なる慣れなのだろうか。
分からない。
分からないことばかりで、人生が終わる。
この世はよく分からない場所だった。